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「なんとなく」も立派な理由だろ

何故。何故。何故。何故。何故。

と問えと、社会人は求められるらしい。流石競争社会。弱いもの、生産力の無いもの、消費能力の無いものはどんどん殺されていく社会だけある。うっかり拍手を送りそう。

理由なんて、いつも分かるわけでは無い。なんとなくそうしたかったら、そうしただけだ。明確な理由があったとしても、なんとなくこうしたいと思えばこそ、そちらを選ぶのだとは思うが。

なんでもかんでも、理由を付ければいいというわけでは無い。それが何時でも可能であるとは限らない。万人が、きっちり理性を備えているわけではないし、それを行使できるわけではない。

というか、「なんとなく」が容認されないほうがオカシイって考えるのは、オカシイか。直観ってやつかもしれないが、別に天才の直観とか、第六感とかでもないから、期待はしないほうがいい。その分、所詮もしなくていい。

だが、「なんとなく」は容認されないらしい。壊したい。なんとなく。死にたい。なんとなく。消えたい。なんとなく。行きたくない。何となく。ウレシイ。なんとなく。壊れてもいい。なんとなく。考えていたい。なんとなく。あぁ死ぬな。なんとなく。

どこまでも理性的、合理的、計算可能的であることが、no really。まるでポストモダン、歴史個別主義や文化相対主義とは、相性ピッタリ!


今日も大学生は惟っている。なんとなく。









参考

僕には生きるセンスがない。/青谷feat.重音テト

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