言語の生成過程に共通点があると、とある大学生が考えてみる。❷
この記事は
の続きです。
今回は、言語生成過程の3つ目にあげた「クレオール」に関して、仮説を支えるのに有用な情報を見つけたので、引用して、また考察していきたいと思います。
部分
ブラジルの日本語で独自に創り出された特徴は、やはり単純化によるものが多い。たとえば、「~ヲ好居キ」のように対象を表すのに格助詞ガではなくヲを持ちいること(「対象とすべてヲで示す」という単純化)、男女差がないこと、敬語がデス・マスだけに収斂していく、また、親疎にかかわらず知らない人に呼びかけるのにオジサン・オバサンが、簡月真、2013、「ブラジルでの単純化」、『旅するニホンゴー異言語との出会いが変えたもの』、井上優、岩波書店、88
❶回目の記事で、
クレオールの第二段階として
お互いの言語で作り上げられる即物的ではあるが使用される言語(部分)
と書きました。
引用にあるブラジルの場合、
日本語が、ブラジル語(ポルトガル語)に組み来れたり、逆にブラジル語が組み来れていく過程で、表現が簡略化していく。
私が作った仮説の「部分」は、これに関連付けられると考えます。
異なる言語を使用する、ということはそれに認知資源を充てなければならないから、母語であっても、その複雑な表現を維持するのは難しいのかな?
もちろん、ブラジルの場合だけではなく、ハワイにおける言語接触においてもこのような単純化がみられるとある。
しかし、接触した言語がうまい具合に融合して、これらの特徴が必ずしも明確に見受けられるというわけではない。
どちらかの言葉の特徴の大部分は消えてしまい、もしくはほとんど残らないという場合もある。
上手い具合に、融合されている言葉ってあるのかな?
でもそれって、コード・スイッチングじゃないのか?
と
今日も大学生は、唱えている。
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