アーリさん、観光世界は不平等なようです
結局、「観光」は環境に悪いのだろうかと、疑問に思ってしまう。何故かって? それは、「モバイル・ライブズ」という著書の中に、観光を危惧するような文章をたくさん見たからで・・・。
当初というか、「観光」というものを学び始めたときは、ただ何となく「観光」が楽しそうなものというイメージを持つ娯楽の一部のようなものでしかないと感じていた。
う~ん。ん? うん?
あれ。「観光」って、良い面以上に、それを支えるのに必要な損害が大きくないか・・・?と、今年に入ってから、強く感じるようになった。まぁ、学部がある意味で、そういう学部だから、仕方がないのかもしれないけれど。
ここで、「モバイル・ライブズ」から、ある意味では衝撃的な文章を少し引用したい。
来訪者に向けたこうした場所の開発は移動的領域の拡大するため, 〔中略〕経済的かつネットワーク資本を持つ者と持たざる者の間の不平等をさらに生み出すことになる。このような場所は, 私たちが「観光する世界(touring world)」と名づけたものを構成し, それを補強する。(Anthony Elliot&John Urry, 2010 遠藤英樹訳, 2016, p.171)
「モバイル・ライブズ」の中における「観光世界」の認識は、おそらくこれでいいのだろう。
典型的な、持つ者と持たざる者の格差を、観光世界そのものが助長しているか、或いはそのものを表象しているのか。どちらにせよ、何かしらの、特にネットワーク資本の、不平等をさらに深いものにしているとするなら、やはり「観光」は、一部の人にとっては非常に麗しい水のような存在であるが、また別の視点から見ると、悪魔のようなものなのだろうか。
観光は、多くの国にとって、欠かすことのできない産業となった(なってしまった)。その活動を再開させることを、多くの人が望んでいるとは思うけれど、このコロナ禍による損失を埋め合わせるために、今後は、より過剰な観光における消費がおこなわれるのだと思う。
きっと、未来や将来のことなって、どうでもいいのだろう。(そんな些末なことを気にしている余裕は無い)
観光が行えたとしても、観光が行えない国との格差(観光の南北問題的な)はどんどん広がっていく。しかし観光産業を維持しなければ、人が死ぬ。しかし、同時に環境破壊に(必ず!)繋がる。ここでもまた、人間か、それ以外かという問題が出てくるが、人間はおそらく人間以外はどうでもいいのだ。
消費し尽くせ
これが、人間が(もうそれが宿命かのように)成すこと。成してしまう事。成さないではいられないこと。
観光は、人間に、何をもたらすのかなぁ・・・。
と
今日も大学生は惟っている。