言語の生成過程に共通点があると、とある大学生が考えてみる。❸
これはとある大学生が「言葉」について考えていく過程である。
これらの記事の続きですので、是非上記の記事もご覧ください。
それでは、今日も「ことば」について考えていこう。
「音」としての言葉
岡ノ谷一夫さんの「言葉はなぜ生まれたのか」という本に、「言葉の4条件」について書かれいたのを思い出す。
その4条件というのが・・・
1、発声学習ができる
2、音(単語)と意味が対応している
3、文法がある
4、社会関係の中で使い分けれる。
の4つ。
具体的な説明は一旦置いといて、
私が別の本を読んでいて、「なるほどなぁ・・・」と感じたことがある。
それは「ことば」の音的な側面である。岡ノ谷一夫さんの「ことば」の4条件を鵜吞みにしてしまった馬鹿な、私は言葉の音に関連する部分を、「喉」に限定して考えてしまっていた。
「発声学習」とあるから、音を聞くというプロセスを経ているはずなのに、どうして気が付かないのだろう?
おそらく、発声学習の「声」という部分に、無意識的に注目してしまったのだろう。
文字拘泥もいいところである。
ここで引用をする。
しかし私がここでいう「人間の身体の内なる振動」は、自分の身体による声の演奏だけを意味しない。もう一つの重要な、しかも欠くべからざる身体器官の振動として、耳の「共鳴」がある。佐藤健二、2012、「私の耳は、他者の耳」、『ケータイ化する日本語』、北村尚子編、大修館書店、31
この本をきっかけに、「音」としてことばに対して、さらなる見地を得ることができた。
いや正確には、見えるようになった、というところか。
岡ノ谷一夫さんの「ことばの4条件」では「発声学習」がより注目されていたが、その部分だけでなく、耳できく「音」としてのことばも、言語の生成過程を考える上で重要だと考えられる。
「喉」そして「耳」。
また、有用な材料を手に入れることができた・・・。
三大過程
今まで、
歌から言葉ができるというプロセス。
赤ん坊が言語を学習するプロセス。
クレオール言語ができるプロセス。
の3つの過程を考えていたのですが、
新しく「言葉そのものができるプロセス」
を加えたいと思います。
まぁこの4つ目のプロセスが中心になりそうですがね・・・。
さて、タイトルには「三大過程」と書いたのですが、これは今までの3つのプロセス(歌、赤ん坊、クレオール)と生成過程と、「言葉そのもの」の生成過程が類似していると感じたからです。
「ケータイ化する日本語」の中には、
最初に身体の共鳴があった。その状況のなかから意味が発生し、共有され、言語が内面化されていく。(佐藤健二、2012、36)
とあります。
36ページには、
「空気の共振」、「身体の共鳴」、「意味の形成」、「意味の共有」、「言語の共有」、を経てラング(意味記号として共有されることば)になるという図があります。
これを「三大過程」(「全体➡部分➡全体」)に当てはめてみると・・・
空気の共振➡意味の共有➡言語の共有
という感じになると思います。
「身体の共鳴」と「意味の生成」は3つ(全体,部分,全体)で表したいという私の都合で省略しているだけです。
本来は、
空気の共振(➡身体の共鳴)➡(意味の生成)➡意味の共有➡言語の共有
という形になります。
簡単な流れを書くと
「空気」という私たち人間が暮らす陸で溢れている全体的な空間のなかで、
岡ノ谷一夫さんの歌文法のように、偶発的に一致していた音(それも同じ意味を持つもの)が部分ごとに共有され、
言語(全体性をもったもの)として、本格的に共有されるようになった。
しかし・・・
今までの考えに、
「空気の共振」、「身体の共鳴」、「意味の形成」、「意味の共有」、「言語の共有」が加わったことで、一層考えなければいけない点が増えました。
とくに、(➡身体の共鳴)➡(意味の生成)はどう「三大過程」の中に位置づけていくか・・・
と
今日も大学生は案じている。
参考文献:佐藤健二著『ケータイ化する日本語』(大修館書店,2012)