MON EXISTENCE
僕のヒーローアカデミア(フランス語)を読んでいると、面白いなと感じる部分があります。
日本語と英語の翻訳はなんとなく似ているのだけれど、フランス語は結構異なる翻訳になっているということ。
例えば、こんな言葉がある。
そして僕の最初で最後の挫折だ
英語
BUT THAT WAS ...MY FIRST AND LAST SETBACK!
フランス語
CETTE DÉSILLUSION...A DÉFINI MON EXISTENCE!
私は、この(特に)フランス語の翻訳を見たとき、緑谷出久のことを非常に羨ましく思いました・・・。さすが主人公というか・・・。
人間のEXISTENCE、つまりレーゾンデートルとか、アイデンティティのようなものは揺らぎがちであることは、よく知っていることでしょう。
僕のヒーローアカデミアという作品の本領発揮というわけではありませんが、日本語版の「そして僕の最初で最後の挫折だ」という言葉の真意を語っているのが、このフランス語版の言葉かなと思います。
自分が「無個性」である、そして齢4歳にして知った社会の現実によって、緑谷出久はそこからアイデンティティを見出したのです。
つまり、サイキョ―です。なぜサイキョ―なのかというと、4歳の時の出来事、それもマイナス要素が強い出来事を糧にして、既に「自分」という人物を確立しているのです。
「無力」「無個性」、後後に個性を手に入れる緑谷出久ではありますが、その前にある程度の「自分」が出来ていたのかなと、「CETTE DÉSILLUSION...A DÉFINI MON EXISTENCE」という言葉は示しているのかなと思います。
ちなみに(?)、「CETTE DÉSILLUSION...A DÉFINI MON EXISTENCE」を解り易く翻訳すると、「僕を僕たらしめているのは、あの挫折だったんだ」って感じだと思います・・・。
彼の凄い部分は、自分の自分らしさを見つけていたこと、そしてその自分らしさが、「無個性」という要素ということ。
緑谷出久は、「無い」、つまり無個性という個性を見出していたのだと思います。個性が無いまま、ヒーローになろうとしたくらいですから。ある意味では、彼はもう無個性であることを認めていたのです。それも前向きに。
もし私だったら、「無理だろ・・・」と思うかもしれません。というか思います。
それほど、「そして僕の最初で最後の挫折だ」の仏語訳が、「CETTE DÉSILLUSION...A DÉFINI MON EXISTENCE!」であることに驚きを覚えます。
私も、
「CETTE DÉSILLUSION...A DÉFINI MON EXISTENCE!」
って言えるようになりたいのですが、私はジャンプの主人公でも何でもないので、「MON EXISTENCE!」と言えるものをまず自分で探さないといけないのですが・・・。
相も変わらず、「私」が分からない今日のこの頃です
と
今日も大学生は惟っている。