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スカベンジャーズ
スーパーマーケット
よく見てみると、そこには数えられないほどの死体が広がっている。
これまで生きてきて、なぜ気付かなかったのだろう。
人間が死体を喰らっている、ということに。
人間が喰らうのは、ほとんどが死体であるということに。
肉にせよ。魚にせよ。植物にせよ。
しかし、この性質は食事だけに収まらない。
もう何年も前から、地球ではグローバル化が進んでいる。世界はどんどん小さくなっていく。
加えて、近年は観光産業が盛んになりつつある。
動物の密漁よりも稼ぎが多く、雇用創出にもつながりやすい。メリットは、観光を提供する側にも存在する。
人間はますます文化的にも、経済的にも発展していくように見えるだろう
しかし、さきほども書いた通り、依然として死体を喰らうのを辞めはしない。
既にこの地球は、人間の支配下にあるものになってしまった。
そこでは、「本物」「真」のような文化が存在し得るのだろうか?
ほとんど全てが、外の人間に良い様に映る為に、存在したはずの、生きていたはずの文化が殺され、おあつらえ向きの文化が構築されていく。
人間は、文化の死体を楽しんでいる。
「文化」は最初からそんなに美しいものだったのだろうか?
多言語対応していたり、ユニバーサルデザインやバリアフリーが最初から備え付けられていたというのか?
魚や肉のように、少々生臭いものではなかったのだろうか?
なぜ訪れる場所のほとんど全てが、あんなにも綺麗に見えるのだろう?
それはただの美辞麗句と何が違うのだろうか?
それらは本当に生きているのだろうか?
食品のように加工され、品種改良され、人間にとって都合の悪い部分はそぎ落とされて、操作され、消費され、気に食わなければ棄てられる。
それはやはり、「死体」に他ならないと私は思う。
偽の価値
人間とはなんだろうか?
もし私が、人間以外の生物に教えるならばこう教えるかもしれない。
「あぁ…人間か」
「彼らは、本物を見ようとしないんだ」
「どういうこと?」
「全て、自分たちの都合のいい様に作り変えることが得意、しかし皮肉なことに、自分たちが作り変えたことなんてとっとと忘れて、それが本物であるかのように振る舞う」
「木を切って、木でできた家に住む。動物園を作って、動物の鑑賞を楽しむ。それを側目に動物を加工して、それを喰らう。」
「本当に人間は本物を見ようとしないんですか?」
「そうとも。というか、人間はそも”本物”や”真”を見ることはないんだ。あるのは”解釈”だけ。人間には、最初から、本物や事実なんて存在しちゃいないことなんて火を見るよりも明らかだろう?」
虚構によって、大規模集団の運営を可能にした人間はほとんど、その元来の性質ゆえ、偽物にしか価値を見出せない。
スカベンジャー
この言葉を知ったのは、86という小説を読んだ時だ。
敵機の残骸から、レギンレイヴの為に使うことのできる材料を調達する「ファイド」というスカベンジャーのロボット。
人間もおそらくやってることは変わらない。
異様なのは、それが動植物以外のものに及んでいることだ。
私達は?
私達は「スカベンジャー」
悉く、死体を貪り食う者
周りを見てみると、様相こそ違えど、何も知らずに死体をむさぼる者が見える。それにとどまらず、人間は同族殺しを辞すこともない。
同様に、私も死体をむさぼらずには生きてはゆけない。
機械的に殺される何万という動物の命の上に、私は成り立っている。
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