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夢の続きを #006(写真とか追加)

https://note.mu/uyax/n/n6f471a5f8d19
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なんだかんだ言いながらも、とても充実してた気がする。

好きな音楽を創り、LIVEをやり。
仲間達とセンター街で飲んだくれ、日曜はホコ天。
そして月2.3本のLIVEをこなし。

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当時よく出てたLIVEHOUSE

新宿JAM http://jam.rinky.info
新宿アンティノック http://www.antiknock.net
四谷FOURVALLEY(閉店) 
http://www.otonami.com/fourvalley/news/

新宿ACB http://www.acb-hall.jp/

大宮フリークス(閉店)
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もっと在ったけれど忘れたなあ。



そして初めてのRecording。
六本木SONYだった。
3曲録った、が、その頃に好きだった曲を録っただけで
進め方とか方向制はメチャクチャだった。


ドラマーが居たのにリズムマシンで録ったり。
鍵盤は居なかったからGuitarで代用してたり。
歌は2テイク位を重ねてたり。

でも、出来上がったモノを聴いて 行けるぜ! と根拠なく思ってた。
そのテープはいま紛失してしまってない。


そのDEMOを聴いた上層部が「コレじゃ売れない」と判断したのだろう。


ある日、「撮影があるから!」と告げられ
コシノジュンコの店に連れて行かれた。

好きな衣装選んでいいぞ!で、ど派手なのを選ぶ。

その衣装を着て、アイドル共和国 というTVに出る。
司会はスマップだった。

当時は「アイドルなんかと一緒にするんじゃねえよ!」とか
一丁前の事を言ってたけれど(笑


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そしてそのまま、LIVE〜ホコ天は続けていた。


所属事務所がレコード会社を作る、というので
僕のバンド含め、3組が選ばれた。

他の2つはドンドン先に進んでゆく。
実際デビューもしてた。

コチラは「何時デビューなんだろう?」
なんて呑気に考えていただけだった。


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「お前ら方向制を変えな」

と、ある日担当DIRECTORに言われた。

ビジュアル系ど派手衣装、メイク、だけでは駄目だ、と。

バンド名も変えろ。

何言ってるかよくわからなかった。




22歳になっていた。


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時系列滅茶苦茶だがまあ許せ(笑