Suchmosについての書き物
まず以下は、2019年ハマスタの日に書いたものです。
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さちもハマスタほんとにやばかった最高の最高の最高!エモエモ!大好きなオーバースタンドのときコーラ飲みながら風がめっちゃ気持ちいいしとくにwhyかっこよすぎて。。あと最後アンコール、よんすが 誰のためでもなく自分のために生きよう って歌ってくれて 見事にカマされました😇takealifeeasy!
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次は後日ひっそり追記したもの。自分のために記しておく。20190909.
サチモに関しては なんでかあまり言葉に出来なくて
それは サチモスを聴いてると、なぜだか私が高校生だった時がいつも一番に浮かんでくるからだ。
電車の中でも教室の中でも音楽ばかりを聴き 文庫本ばかりを、読んでいた時。
学校に友達なんていなかった けど いらなかった とも言えるような。
学校からそのまま渋谷に繰り出して HMVからタワレコをハシゴしたり
クアトロ、オンエアーイーストウエスト、アックス、渋谷も抜けてリキッドルームやZeppTokyoや赤坂BLITZに入り浸り
インターネットで知り合った人とチケット売買して友達になったり
その合間に やっぱり渋谷で ハーゲンダッツを食べたし 公開ラジオも見に行ったし ロフトでくだらんシールを買ったし パルコブックセンターでわけのわからん洋書立ち読みしたし シネマライズは本当通ったし 喫茶店マイマミに行ったり。
とにかく音楽と音楽の間の怠惰なくだらないそして愛おしい時間をわざわざ渋谷まででかけて過ごし、、
そういったこれら混ぜあわさった時間空間すべての空気を思い出し 感じることができる。
だけど 私よりずっと歳下の彼らが作り奏でる音楽に なぜ周波数が合うんだろう?
渋谷と横浜のダサくてゴミみたいな往復をしてる感覚を呼び起こすからか?いや、というよりは、今回ハマスタであの空間を体感して、家帰ってからフライヤーに書いてある よんすの文をソファで読んで、腑に落ちた。
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2019年の夏、横浜スタジアムで
ライブ観たなぁ、とか
そのあと街に繰り出して遊んだなぁ
とか。そういう一ページに俺たちが
関われることが嬉しいです。
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これってつまり今私ずーっとつらつら書いてたことを、もう一回やってるじゃん、またできてるじゃんこれ、って。高校生の時の自分と、今の2019年を生きてる私と。それでハマスタでまたサチモスによって交差して。色々人生あるけどな、あったけどな、むかし感じてたこと、と、今感じてること ってこんなふうに自然にいつのまにかつながるんだな、すごいな、って思います。suchmosありがとう!
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ここからは2021年10月18日記。
亡くなったとの報らせがなかなか受け入れられないのは、ハマスタのハーゲンダッツTシャツ姿やオンラインライブでの煙草をふかす姿が今も鮮明だからだ。かなしい、いやそんなわけがない、を交互に繰り返しながら時間が過ぎていく。
奇しくも今、新しい会社がある渋谷へ電車通勤している。やっぱり音楽を聴きながら。サチモスの音楽は歌詞がとても、シンプルだ。余計なことは言わない。それが心に響くとかいうよりも、言葉の意味よりも、「踊ろう」と言う。その「踊ろう」の揺るぎない根拠や支えがHSUさんのうねるベースラインだった。踊るっていうのは、楽しいだけじゃなくて自分の身体を信じるっていうことで、身体に心を委ねる、つまりマインドの話でもある。やっぱりsuchmosのベースラインには、心の中にある小さな闘争心とか根性とかに火を付けられる。
あのフライヤーを見てみると、
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観に来てくれた君達の想いが
今日という日をきっと良い思い出に
してくれるはず。
特別な夜にしよう。
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と書いてある。
特別な夜を、また過ごしたかった。想いは2度と届かなくなってしまうこともあるんだね。それも時間が解決してくれるのだろうか。
先週の金曜、仕事の帰りに15年振りくらいにスペイン坂をのぼってシネマライズの余韻の無さに笑ったし、お洒落なMODIやIKEAが出来ていてなんとなく入れなかった。家に帰って暗い部屋に明かりをつけてそのままソファでとりあえずTwitterを開いたらHSUさんの報らせがあった。一旦心を身体に任せて、この今の気持ちをちゃんと持っていよう。そしたらこれもやっぱり私の人生の中の一ページになっていくんだろう。