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奇奇怪怪 なぜ人は飯の写真をなぞ撮影するのかについて
最近、Spotifyで奇奇怪怪というポッドキャストを聴いている。
MONO NO AWAREというバンドのvocal.guitar玉置周啓さん、Dos MonosのラッパーTaiTanさんのお2人が配信されている。
内容としてはTaiTanさんがほぼ毎回話題を持って来て、玉置さんが相槌をうちながらそれについて考えてゆくというものだ。(簡単ですみません)
2人の掛け合いはとても心地が良く、本当に信頼していなければ言えないだろう発言や罵倒などがたまらなく人々を引き込んでいく何かがあると感じる。
まだ奇奇怪怪を聞いて2ヶ月程だが、この回は特に何のために飯やスイーツの写真を撮るのかという誰しも一度は考えたことがあるであろう問題について話をしているので、是非まだ奇奇怪怪を聞いたことがない人がこのnoteを見てくれたら是非聴いていただきたい。
内容は皆さんに聴いてもらうとして、、、
個人的になぜ人は飯の写真を撮るのかについて考えてみた。
言ってしまうと、自分は撮ってしまう側だ。
だけどインスタがクソ苦手なので、特にストーリーや投稿したりはしない。
個人的には、最近の流行りで映えるから、いいねがたくさん来るから、自分のインスタをオシャレにしたいからというようなSNSの為の写真になっているのが大半ではないかという考えである。
確かに容量が多くなって写真でも消すか〜という気になると、よく過去に食べたラーメンや、スイーツ、綺麗なカフェの内装や外観などが多く出土される。
無意識なのかどうなのか、なぜこの写真をその時の自分は撮ったのか。
別にその店のラーメンがその日で食べられなくなるわけでもないし、ネットで検索すればもっと高画質な良いカメラで撮影した同じスイーツがいくらでも見つかるのに、、
そんなことを考えているうちに、飯の写真を利用する云々でなくてその時の"テンション"が重要な鍵なんじゃないかと思った。
昔から思っていたことがある
なんで親は必死に打ち上がる花火に携帯電話を向けて写真を撮っているんだろうと。
おかしな話だよね、、肌寒い夜にあの打ち上がる時のドン!っていう重低音から始まり、目でそれを必死に追いかけて次は何色でどんな大きさで見えるんだろうというのが花火なのに。
花火を写真で撮ることは花火に失礼だと思う。
少なくとも綺麗だなとは思うが、視覚でしか判別できない花火って何が良いんだろうか。
ただの色じゃん笑
しかし、今年の7月
私はその考えを掻き乱されることになる。
それが"ドローン花火"だ。
本当に驚愕した、、LEDライトのついたドローンが集まり、ディズニーキャラクターの形で宙に浮いている。
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ついつい私もスマホを慌てて構えたが慌てる必要はなく、ずっとミッキーはそこにいるのだ。
そして美しくライトが消えて、次のキャラクターへと変化していく。
さらに驚くことに花火の上がるあのドンッという音も聞こえたのも衝撃であった。
花火を写真で撮るのは無意味だ、花火じゃない。
そう思う私と同じ考えの人もいるだろうが、時代は対応して進化してきているのだ。
現に撮らされているし、撮りたいと思わされている自分がその時いたのだから。
まぁ、ここら辺にしておきたいと思います笑
是非この花火を写真で撮るか撮らないかについてもコメント頂けたらありがたいです。
とりあえず言いたかったことは奇奇怪怪をみなさん聞いてみてくださいということなんですよね。
世の中に溢れてる当たり前が真実なのか、真実として良いのか?などとりあえず自分にとって必ずプラスになるポッドキャストだと思います。
このnoteを始めたきっかけも玉置周啓さんがやっていたことや奇奇怪怪、脳盗のnoteを見たからです。
今後さらに、私のように奇奇怪怪を愛する人が増えることを祈ってこれからも聴きつづけます。
それでは。