25歳で社会人兼大学1年生。必死に人生を取り戻そうとしていた #社会人1年目の私へ
はじめて就職したのは25歳。人より遅れての社会人スタートだった。
プライドが高く、劣等感も強い人間の社会人&大学デビュー戦。
それまでの夢ごっこが終わり、みっともなく無様になりながら、どうにか社会と向き合おうとする男の記録になる。
仕事に向き合っている方は、最後の1文だけでも読んで欲しい。
仕事が出来ないのに、プライドが高く人に聞けない困った奴
学歴、職歴、コネ、スキルもない25歳。あるのは無駄なプライドだけ。
それまで、脚本家を夢見たものの、挫折し就職活動をはじめた。自分の原体験にも近しい福祉業界を選んだ。
ヘルパー2級(注:当時の名称)の資格を取得して、就いた職業は高齢者施設の介護職。福祉領域の経験を積みながら通信制大学に通い、社会福祉士を取得しソーシャルワーカーを目指すつもりだった。
自分も大変だった経験を持つので誰かの人の役に立てる、資格とスキルがあれば、人を助けられる、と考えていた。
この考えが甘かったと知るのは、もう少し後になる。
知識、スキル、経験より前に、誰かを幸せにしたければ、まず自分が幸せな方がいい。当時の自分はコンプレックスと劣等感の塊だった。そして、「誰かの役に立ちたい」と面接では話していたものの、本当は「自分の学歴と職歴を立て直す」事に必死だった。
今となっては、幼過ぎると自分でも思う。
高齢者介護の施設には、入所型施設と通所型施設がある。
入所型施設は、有料老人ホームや、特別養護老人ホームなど。利用者の方が泊まれる施設形態を指す。
通所型施設は、デイサービスやデイケアなど。利用者の方は日中レクリエーションや、リハビリをして夕方になると帰宅する。
働く側の視点で考えると入所型施設は夜勤が含まれる。大学との両立を考え、生活のバランスが取りやすいであろう、デイサービスを選択した。
大まかな一日の流れは、朝礼→送迎で利用者の方を迎える→入浴・排泄介助→食事介助→レクリエーション→送迎→終礼。※1年目で勤務していた施設では女性の利用者の方が多く、同性介助を基本とする自分は入浴/排泄介助はあまりしていなかった。
基本的に通所介護は要介護度が低いため、介護技術と同時にサービス職の側面も求められる。細やかな観察力、配慮、コミュニケーション能力などだ。
デイサービスにも種類があるが、私が選択した施設はレクリエーションなどの「楽しんでもらう」事に重心が置かれていた。
利用者のをいかに盛り上げるか、トークでもレクリエーションでも方法は何でもよし。
○○さんが先週と比べて右足を引きずっているように見えるので、疾患が悪化しているのでは?
先輩たちはこうした些細な違和感にすぐ気づいていた。
自分はかなり仕事が出来なかったほうだと思う。コミュニケーションも得意ではなく、頑張って話すものの、こちらの緊張が伝わってしまうようで利用者さんとも最初は上手く関係性を築けなかった。
覚える知識も多かった。
勤務していた施設は大型で利用者さん100人以上全員の「顔、名前、疾患、食事の好み、家族背景」などを頭に入れて、ケアする必要がある。
知識を自分に入れるだけでも、大変なのに致命的だったのが、自分の「プライドの高さ」だった。
「馬鹿にされたくない」「無能だと思われたくない」劣等感の裏返しから出てくる感情だった。
自分で解決しようとして、何も知らないのに、先輩に素直に聞けなかったのだ。
「分からないことはなんでも聞いてね」
と言ってくれるものの、忙しいのでは?と変に遠慮しては自分だけで解決しようとして、時間を無駄に使ってしまう事が多々あった。
また当時は、通信制大学との両立に苦労もしていた。
両立のための体力・気力・時間のリソース配分が上手く行かない
「何とかなる」と楽観的な気持ちで、就職と同時に入学した大学だったが、思いのほかスケジューリングが上手く行かなかった。
仕事で覚える内容が膨大にある中、学習計画も同時に立てなくてはならない。どの授業をいつまでに取得するのか、そしてその授業の単位数の組み合わせで、必要単位は取れるのか。体力と時間のリソース配分が上手く行かなかった。
仕事終わりに勉強はほぼ出来ず、休日を主に使用した。介護の仕事は体力勝負になる。一日立ちっぱなしの仕事は慣れないうちは、身体に応える。
休みの日も疲れが抜けない。
加えて、時折スクーリング(出席授業)もあり、片道1時間以上掛けて通った。
仕事と勉強の両立は慣れるまで大変だった。
どっちか片方に集中したら?今さら大学卒業して意味あるの?
よく言われた言葉だ。
なんでここまで頑張るのか?理由は1つだ。もう、逃げる自分は嫌だったのだ。
何かを目指しているうちは、何者でなくても許されると思っていた
話は、昔に遡る。
僕は「いい学校、いい会社、いい人生」と育てられたのだが、家庭の事情で学校を辞める事になった。
「ふつうの人生」を諦めた僕は、周囲見返すために何か「一発当てる系」の職業を志す。そこで選んだのは脚本家だが、結局芽は出なかった。
知人からライターの仕事を紹介してもらい、細々と仕事はしていたが行き詰まる。
自分が行き詰まった理由は分かっている。自分の人生と向き合うのが怖くて、夢に逃げたのだ。
何かを目指しているうちは、何者でなくても許されると思っていた。
何かになりたくて、夢を追っていたのではなく、現実から逃げるための「夢ごっこ」を自分はやっていたのだ。
そんな人間には覚悟がないのも当然だった。努力「のようなもの」もしていたが結局はコスプレ。
時間だけが過ぎて行き、20代中盤に差し掛かり、いい加減自分の人生と向き合わざるを得なくなった。
この現実はどんな将来に繋がっているのか?
入社して半年してぐらいで別の施設に異動にになり、時間は掛かったものの仕事にも少しずつ慣れていった。大学との両立もコツを掴み、どうにかやっていけそうな感じもしていた。
ただ、毎日は不安だった。
帰り道に自転車を漕いで自宅へ向かう途中、ふと「この人生以外の選択肢」が頭をよぎる。
もしも、もっと早く就職していたら?
もしも、別の会社に就職していたら?
もしも、学校を辞めなかったら?
無数の「もしも」が頭を占める。結局、目の前の現実と向き合おうとしない自分がいた。
夢を追えば、何者かになれる、就職すれば普通の人生が送れて、幸せな生活が送れる。
○○さえすれば、見返りとして何かが自分に返って来るはず。勝手に期待して、勝手に裏切られたと感じて、現実から目を背け、仮定の未来に逃げ込む。
毎日のルーティーンで、スーパーに寄り、値引きされた弁当を買う。1人で住んでいるアパートに帰り、弁当を食べる。
引っ越しの時にテレビは処分してしまったため、部屋の中は妙に静かだ。
そんな時、よく過去を悔やんだ。
現実と向き合い、さっさと就職すべきだった。自分は20代の前半を無駄にしたのかもしれない。
こんな事を考える毎日だった。でもやるべき事は仕事に大学、無数にある。
次の日も仕事だ。
朝礼を終え、とある利用者さんの送迎に向かう。80歳前後の女性の方だ。車内でふと、こんな会話になった
「さとう君って何歳?」
「25歳です。○○さんに比べれば、まだまだひよっこです」
「随分若いのね!」
「人生って長いですか?」
「人生長いね~。そりゃあ、色々あるしね。あんた、真面目そうな顔してるから騙されないんだよ」
「真面目に努力するって報われるんですかね?」
「100%は報われないね」
「……そりゃそうですよね」
「ただ、一生懸命に取り組んだことは、別の形で報われる事もあるんだよ。想像もしなかった形で」
なんとなく、この言葉で肩の力が抜けた。
「努力は報われるかもしれないし、報われないのかもしれない」のだ。やったらやった分だけ自分に返って来ると思うから、勝手に期待して辛くなる。ただ、別の形で報われる事もある。
そして、人生は長い。先に期待するでもなく、過ぎ去ったことを悔やむでもなく今やれる事をやるしかないのかもしれない。
回り道のおかげで、現在の仕事に辿り着いた
あれから数年が経った。
結局、初めて就職した会社は辞め、当時考えていたキャリアプランは全く歩めなかった。大学は卒業したものの、社会福祉士も結局は取得しなかった。その前に、今の会社に転職が決まったからだ。
現在は、都内のベンチャー企業でマーケティングや編集の仕事をしている。
当初は苦労した。営業として入社したが、周囲には優秀な人が多かった。四苦八苦している中、転機となる仕事にアサインされた。
仕事内容はwebサイトのリニューアルだった。サービスサイトのリニューアルをきっかけに、今まで会社として営業中心だったがマーケティングにも力を入れる方針になったのだ。
そこで、「コンテンツを書く人間」が必要になった。そして、文章を書いていた経験を持つ自分に声が掛かったのだ。
意味があったのか?と思えていた過去が今の自分を変えるきっかけになった。
このプロジェクトをきっかけに僕は、マーケティングの仕事をするようになった。マーケティングや編集などの仕事は性に合っていて、現在でも楽しく働いている。
その後の話だが、会社では介護に関する情報サイトも運営しており、ライティング&介護経験を持つ自分がマーケターとして運用にも関わるようになる。
「ただ、一生懸命に取り組んだことは、別の形で報われる事もあるんだよ。想像もしなかった形で」
この言葉を、今でもたまに思い出す。
僕は、普通に大学に行き、普通に就職する道は選べなかった。
ただ、回り道をしたおかげで、今の仕事に辿り着いた。
過去を振り返ってみると、泣いたり、笑ったり、悔しがったり、ふてくされたりしたものの、その都度、不器用なりに懸命には生きていたと思う。そして、心を痛める経験も多くした。だからこそ、他者には想像力を持って誠実に優しくあろう、と心がけている。
現在の仕事は大変な事もあるが、楽しく働いている。
25歳で社会人1年目兼大学1年生。仕事に勉強に疲れ果て、毎日不安に駆られていた自分に、今ならこう伝える。
「努力は報われるかもしれないし、報われないのかもしれない。ただ、懸命に生きていれば、その後の人生の何かにつながっていく」
もし、このnoteを読んで、心に響くものがあればtweetで感想をいただけると嬉しいです。
Twitterもやってます↓