【日本校②】UWCの大学受験

 久しぶりの投稿になりました。日本校の病葉です。直近で、イタリア校のポモドーロが、進路について書いていたので、便乗して僕も進路について書いてみようと思います。

 最初にはっきり書いておくと、進路についての考え方、ひいてはUWCに対する考え方は、ポモドーロとはちょっと違う気がします。

 僕の進路を選ぶとき、UWCの学びを次につなげるにはどうしたら良いかということをずっと考えていました。UWCで生活する中で、同級生や後輩から、世界各地の紛争について、たくさん話を聞く機会を得ました。みんな、イスラエル-ガザ紛争の話も、ウクライナ戦争の話も、コンゴ内戦の話も、すべて当事者から解像度の高い(生々しい)話を聞かせてくれました。彼らが、勇気をもって自分の国の話をしてくれたおかげで、僕のなかで、それまでTwitetrのなかだけだった紛争は、私も友達の問題へと変化していきました。これは、間違いなく、UWCでしか得られない経験だったでしょう。

 少し話が飛びますが、1955年に、UWCの創設者である、クルト・ハーンはパリにあるNATO国防大学で講演を行ったとき、彼は、イギリスやフランスの学生が、ドイツやイタリアの学生がともに学ぶ環境に驚かされたそうです。そこでは、第二次世界大戦で、お互いに敵側にいた軍人たちは、ひとつの教室で一緒に学び、そして堅い友情を築いていました。これがきっかけで、クルト・ハーンは、世界中の若者を一緒に教育することで紛争を防げると考えるようのなり、UWC Atlantic の創設につながっていきます。

 クルト・ハーンが築いたUWCの理想は、その通りにUWCに存在し、僕に「現実の紛争」を教えてくれました。しかし、将来、紛争を防ぐことに貢献できるようになるには、UWCの経験だけでは足りません。友達から、紛争の話を聞いていくうちに、UWCで得た “知識” を発展させるために、大学で専門的な学びを得たいと思うようになりました。そうすることで、UWCで得たチャンスと知識を活かせる気がします。

 こう考えた僕は、今とは異なる環境で、多様な人が集まる環境で、「学び」を得るために、進学先にアメリカを選びました。幸い、UWCは、海外大学を目指すのに十分な環境を提供してくれています。

 さらに、ずっと心の中で、UWCに拾われた一人の派遣生(奨学生)として、自分に突っ込んでもらった奨学金の分の責任は果たさなくてはいけないという思いがずっとありました。そして最終的に、UWCの環境を最大限活かして、海外の大学で学ぶことが、僕なりの責任の果たし方である気がします。

 現在でも、地方の高校から海外大学に進学することはきわめて難しい状況です。そのため、地方の公立高校出身の私は、UWCに拾ってもらえなければ、海外大学に出願すらできなかったでしょう。UWCは、確実に、私に海外大学で学ぶという選択肢を与えてくれた。僕は、そのチャンスを自分の手で握りつぶすことはしたくない。

 そう覚悟したからこそ、僕はそれなりの時間を、大学受験に費やしてきました。IBの勉強や、大学のエッセイなどで忙しくなり、G12(高3)に入ってから、学校のイベントにもあんまり参加できなかったけど、後悔はしていません。見る人が見れば、僕は、そこまでUWC生活を堪能しているように見えないかもしれません。本末転倒だと言われるかもしれません。

 ただ、僕は、自分がUWC生活を楽しむことより、自分の背後にある責任を果たすべく頑張りたいなと思う。そして、UWCという「最高の踏み台」を最大限に利用することで、将来につながると信じています。

ちょっと短いですが、病葉の進路のお話でした。受験や、模試がひと段落ついたので、投稿増やしていければなと思っています。


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