
《休憩室+終末漏》 考えない日記:牡蠣キムチ ララフネ本 梅とノーカントリー 2025.02.21-22
梅を見に横浜へ行った。だだっ広い公園の一角に梅が数十本植えられていて、ところどころにベンチが置いてある。どうやら仮設のベンチもあるようで、それは板を渡した箱か何かの上に大理石模様のナイロンカバーをかけたものだった。種類の異なる梅がそれそれの強度で香りを放ち、複雑に漂う場所があった。
枯れた芝生に寝転んだために、薄い狐色の芝生だらけになったズボンや肘をはたきながら駐車場へ戻り、伊勢崎町へ遅い昼食を食べに向かった。目当ての店は閉まっていたので、別の小じんまりとした中華に入った。メニューは表裏で微妙に異なるが、同じモノも掲載されたメニューで、厚手のビニールに包まれていた。頼んだチャーハンとビーフンは量が少なく足して一人前というようなものだった。
相方が、せっかくだから横浜橋通り商店街へ寄るというので、そこまで歩き、キムチなどを見て回った。私は一人で書店『象の旅』へ行くことにした。スマホを家に忘れてきたので、いざという時は最初のキムチ屋さんで落ち合うことに決めた。
随筆の復権というようなフェアーを一通り眺めたあとで、小説の棚へ移った。小島信夫さんが二、三冊あり、そのとなりに見覚えのある書籍をみつけた。『小島信夫の話をしたいのだけれど』という富田ララフネさんという人のモノだ。これはいつか買いたいが近場には扱いのない本だったのでそのうち東京で探そうと思っていた。
がらがらと相方が店の扉を開けて入ってきた。買い物を済まし満足そうだったのでララフネさんの本を会計してもらい店を出た。途中で中華食材店に入り、サンザシのおやつとトウモロコシ粉の乾麺というのを興味本位で買ってみた。

家に着き、相方が購入した牡蠣のキムチ漬けとチャンジャを食べた。牡蠣の方は毎年の冬の楽しみに買いに行こうと決めるほど美味しく、癖になる味だった。追加でもう一粒ずつ出して食べた。食後にノートパソコンで映画を観た。『ノーカントリー』というコーエン兄弟の監督したtheアメリカ映画で、ベトナム帰りの男と殺し屋のシリアスな戦いを描いた内容。しかし、相方は牡蠣キムチと黒糖焼酎でハイテンションになり、話がとまらなかった。最後のシーンでも、登場人物のゴシップネタなどをセリフに被せて話すので全く理解できず、巻き戻してもう一度観た。それでも納得できないので、寝しなに一人でもう一度最初から再生した。布団は暖かく、最後の方でうとうとしてしまい、気がつくと見覚えのないシーンまで進んでいた。思い出そうにも、どの場面だかいまいち分からなかった。冷静になってみると、次の映画『ゴッドファザー』が自動で始まっているだけだった。閉じて寝た。
2025.02.21

腹が痛くなったので店を閉めてトイレにこもった。今日はオープンしているとTwitterに書いていたので、腹痛で三十分ほど閉めることも投稿した。インスタに投稿する余裕はなかった。しばらくもがいた末に復活したので店に戻り、またそのことを投稿した。三十分くらいの感覚でいたが、スマホを確認すると一時間近く経過していた。(牡蠣にあたったわけではないことを注記しておく)
ストーブを最大火力で着け放し、冷えた身体をほぐしながら『小島信夫の話をしたいのだけれど』富田ララフネをゆっくり捲った。紙の上で語り手は二日酔いで、一向に小島信夫の話をせず、次々に思い出すことを脈略なく語っていた。それは行き先表示が掲げられているにも関わらず、どこにもたどり着かない気配のまま波間に揺れる小舟を思わせた。そしてそれは腹痛を経て、あらゆる海につながった、どうにも心地よい揺れのように感じられた。
2025.02.22