1LDKより愛を込めて 1
思い立って日記のタイトルを変えてみた。
春にこの街にたどり着いてもうだいぶ経つ。
病院もクリーニング屋さんの場所も覚えて、長く本を読むならこの図書館、少し誰かと話したいならあの居酒屋、というように、ゆっくりゆっくりこの街に馴染めてきたように思うの。脳内地図が描けるようになったというか。この街にふらりたどり着いてから、私が精一杯生きてきた道すじとぴったり重なる地図。慈しみの気持ちで満ちた地図。
そろそろ暮らしの新章かなぁと思い立ってタイトルを変えました。
といってもまだまだこの地の大部分は未開拓だから、これからもっとたくさん知っていきたいな。ここで生きていきたいな。
8/26(月)
月曜から気持ちを乱される出来事が2つ。心身ともに健やか&ヘルシーに生きる私なのに、ここまで落ち着かずにソワソワすることに自分で驚いちゃった。
1つは、人間っていつポックリ死んでしまうか分からないなぁと言うこと。 ついさっきまで元気だった人が発作を起こしたその様を見ながら、自分にできることのあまりの少なさに打ちひしがれながら、当たりどころが悪くて万が一のことがあったらどうしよう、そういえば「明日」が当たり前にある訳ではないんだった…と再認識した。その人は発作も落ち着きちゃんと検査も受けたようで、数時間後にそれを聞いてドッと疲れた。
私よりもっともっと生死の境界線と近い場所で働く人は、想像以上に気持ちを削がれ切迫した世界を見ているのかもなぁと思う。頭が上がりません。
2つ目は、私の前からいなくなったと思っていた人から連絡が来たこと。
男の人って、どうして「昔の女は今でも俺を思っている」って確信しているんです?? 遠き日の美しい思い出を豆電気にかざして、いつまでうっとりしているんです?? 「昔好きだった男の人から連絡が来る確率」がまた上がりましたけど??
女性を振るならいっそその人を自分の手で殺めたと思ってほしい、だっていつまでもあなたを思って生きてる訳ないじゃないですか。女は逞しいんです。去った男のことなんて露知らず、別の世界で逞しく生きてるんです。
って逞しい女性代表みたいな顔してみたものの、私も昔の好きな人に連絡してしまった経験があるから分かってしまうのよ。LINEを送るまでの(送って大丈夫かなぁ…スルーされるかも…)って葛藤も、それでも誰かに縋りつきたい必死な気持ちも。
その人はどうにも弱っていたらしく、(ランドちゃんがいつまでも優しいと思うなよ)と思いながらも、結局話を聞いてあげる。
そういえば、この人の弱さをまるごと包んであげたいと思いながらも私には全くそれが務まらず、そのせいで離れていった人だった。
離れてからも私にその役割を求めて連絡してくるこの人の弱いところを、私は何故だか憎めないんだよなぁ。
ひと通り話を聞いてかる〜く能天気にに励ました後、仕事が落ち着いたらいつものメンバーで飲みましょ、と落とし所をつけてLINEは終わった。
この人も、発作を起こした人も、どうか今夜は安心して、ぐっすり眠ってほしい。
8/27(火)
冷たいお酒を美味しく飲みたい&思いっきり汗をかきたいという理由でこの夏はぼちぼち走っている。そのおかげで代謝が上がり、出勤の徒歩10分だけで滝汗をかくド健康な身体になってしまって大ウケの火曜日。
どれくらい滝汗かって、ブラウスの生地面積の半分が汗で色を変えるくらい。「やばやばやば…」って大慌てで更衣室に避難し、クーラーON+扇風機ONにして急いで乾かした。 まるで学生みたいなアホな朝。これからは着替え、持っていこうね。
お仕事の方はというと、午前中は超平和過ぎて知恵の輪に勤しんだ。取れる訳なくない?!と思うような鉄の絡まりが「…スルッ!!!!」と解ける時の気持ちよさと言ったら! その後、…えこれってどうやって戻すの??ハマるわけなくない?!と混乱するまでのセットが楽しい。
今日は暇だなぁ…これは嵐の前の静けさか…?と案じていたら案の定、午後にはまたイレギュラーが発生。ヒヤヒヤしたぁ。終わってから脳内反省会を開いて、私の見立てや対応の振り返りをする。 うん、今回はわりかしうまく立ち振る舞えたかも。こうやって場数を踏んで、実践と検証を繰り返していくしかない。知恵の輪の裏ではこんな仕事をしている。
2日連続でこれって、今週も波乱の予感…。
私、無事に生き延びられますか〜?
8/28(水)
今日も今日とて朝歩くだけで汗をかき、昼間のサウナみたいな湿度のせいで前髪が死んでいた。うねうね癖っ毛を遺憾無く発動されて、春にかけた縮毛矯正はもう伸び切ってしまったかぁとちょっと残念。
前髪も死んでお化粧も汗で落ち切ったような時間帯に廊下ですれ違った19の若者に「学生さんですか…?あ、違いましたか!お若く見えますね!」と声をかけられて「ハハハ…」って乾いた返事をしてしまった。私だって、20そこらだろうと思った人や30ちょい過ぎだろうと思った人(両方男性)に「28歳です」と言われて(同い年かい!!!)と驚いた経験がこの1週間で2回あったから、人にあんまりとやかく言えないんだけども、年相応に見られるのってなんて難しいんでしょうね。
夕方から大雨が降り出して、帰るタイミングも逃したなぁ…と職場で雨宿り読書。借りたての吉本ばななの文字列を目で撫でる。 その中に真っ白く光る一小説を見つけた。
あ〜なんか今日はこの言葉に出会えただけで満足だ。大変良く生きましたの花マルをカレンダーにつけたくなる。
割り切れない気持ち・割り切れない関係性っていうのは、年齢を重ねれば重ねるほどにどうしようもなく発生してしまうものなんだろうなぁ。心身ともに健やか&ヘルシーに生きるのは清々しくて心地良いんだけれど、割り切れない何かへの思いをたぎらせること、相手への想像力を働かせてそんな間柄の人と共に生きることに真の心の豊かさがあるのだろう。 私の人生もそうでありたい。
8/29(木)
よく覚えていない日。
結構時間にゆとりのある日だったから、職場で道ゆくいろんな人に「最近あった、“ちょっと良かったこと”教えてください」って聞いて歩いた。 どうも、ちょっと良かったことコレクターです。
「欲しかった服が買えた」って教えてくれた人、「練習していたことができるようになった」って話してくれた人、「ぴーちゃん(ペットの亀)がいつも元気」「チョコ(犬)と毎日一緒に寝れること」ってペットとの大切な時間を教えてくれた人。みんな、いろんな幸せを味わいながら生きている。
ちなみに私は、昨日発売&配信されたクリープハイプのトリビュートに心奪われている。11曲すべてがすごいんだ。ある曲はアツく、ある曲は切なく、またある曲は友達と夜中のカラオケで明るく歌い飛ばすような表現の仕方で、でもクリープハイプへの敬意とリスペクトが常にベースに会って、プ、プロってすご〜〜〜!!!
こんな贅沢な音源を好きな時に好きなだけ聴ける時代に生まれてよかった〜〜〜!!!
8/30(金)
一日中パッパラパーになってふわふわして過ごした。YouTubeであっちゃんとメンタリストDAIGOがやっていたXENOってボードゲームをしたり、命を燃やす集合体を見たり、甘いクレープを買い食いしたり。今日ばかりはパッパラパーでも許される日だった。
今まで気づかないふりしていたけど私、社会人2年目のピチピチの後輩ちゃんに妬いている。彼女はとにかく多才なの。清潔感に溢れた品の良さそうな外見からは少しだけギャップに感じる特技をいつくか秘めていて、それを人前で堂々と披露する度胸もあって。それだけじゃなく、仕事に向かう姿勢がとにかくまっすぐでかっこいいの。誠意とやる気に満ちていて、地球上の特別綺麗な空気を吸って育ったような子。身を割いて努力することも忘れない、周りが思わず応援したくなる子。こんなに個性の輝くキャラクターが組織にいることは大きなプラスになるし、刺激になるなぁと思う。
この後輩ちゃんを見ていると、私には何か強みってあるのかなぁ、いや何もなくない…? のうのうと呑気に生きているだけだし…と、何もない自分に焦りを覚える。四つも下のあれだけ多才な子と同じ土俵に立って嫉妬してしまうの、私ってアホだなぁ。同じ土俵に立てるほど私は何かに燃えているのですか。あの子ほど何かを頑張っているのですか。
ヤキモチってとても人間らしい愛らしい感性だと思うけど、そこに留まらずに、どのポイントに激しく妬いてしまうのか、果たして私はどうなれば自分に満足できるのかを考えてみたい。
8/31(土)
生きるってドラマだ…と一日中圧倒された。いろんな人と話をして、人の数だけドラマがあるんだなぁとその事実にただ打ちのめされた日。
エピソードがたくさんあるんだけどひとつだけ記すなら、知らないおじいとおばあのデートの話。
コンビニの雇われ店長のおじいと、彼のもとに足繁く通っているおばあ。2人はずっと「気さくな店長と馴染みの客」って関係性だったのだけれども、ある時2人で初めて名前を名乗り合い、「今度開かれる近所の学校の学園祭に、一緒にいきましょうか」「一緒に青春を取り戻しましょう」と実際に出かけたんだって。足の悪いおばあのためにゆっくりゆっくり2人で歩いて、溢れる青春の音と活気に囲まれて、すごく楽しかったんだって。そんな話を聞いて、どんな脚本よりどんな俳優より、現実のほうがずっとずっと面白いなと思ったよ。想像を遥かに超える感情がそこに発生するから。歳を重ねたその先にそんなドラマが起こりうるとは、人生ってなんて面白いんだろう。
帰り道、いつもより長く歩きたくてちょっと遠回り。
吉本ばななの「割り切れないもの」の話に戻るけど、割り切れないものはいつだって切なくて美しい。前進する気力がない時はその過去の美しさに浸りたくなる時もあって、でもそれって後味が悪いんだよなぁ。だって割り切れないものって私にとっては心地よくないものだもの。 ひとつ選択を間違えた、と反省しながら暗い住宅街を歩いた。
9/1(日)
夏至の頃に知り合った少し気になる人とデート。
人気のない公園をたっぷり時間をかけて歩いた。人はいないけれどたくさんのトンボがいて、あと私たちと同世代らしい馬がいた。 産まれ年を読んで「あ、ひとつ先輩だ」「こっちはふたつ下だ」と換算し、この世界を共に生きてきた命に最大限の敬意と親しみを表す。2頭の白い馬はおやつの時間だからか、ひたすら牧草を食べていた。
この人といると何もかもが楽しくて、てか私のどうでもいい話をずっっっっと楽しそうに聞いてくれて、目を細めて笑ってくれるその優しさに寄りかかりたくなる。まだ寄りかかるほどの距離感ではないんだけれども。とにかく、知り合ったその日から私は心を5歳児にして過ごせてしまっている。
今日判明したのだけれど、今は県を跨いで片道2時間の距離に住む私たちはどうやら、幼少期は両家庭ともに他県の同じ市街地に住んでいたらしい。おぼろげな記憶のままに街の名前で検索すると、住んでいたのは車で20分の距離らしい。そんなことある???と不思議な気持ちになった。
20時に食べるミニパフェの罪深さと、遠ざかる白いMAZDAに手を振る時のちょっとした寂しさだけが夜に残る。