数学は解けなくても恥じゃないし役に立つ
Burn+note初投稿です。次回の番組テーマが「数学」ということで数学について書いてみます。
前から順に解きたい
中学高校の頃を思い出してみると、数学は好きな科目だったのだけど、相対的に国語や英語の方が点数が良かったので結果的に文系に進むことになったのでした。数学は好きだけど点数が伸びない理由はわかっていて、
「前から順に解きたい」
この一点。試験問題が並んでて、順番に解いていくじゃないですか。途中でちょっと苦戦して、解に至らないのでいったんこれ置いてその先の問題から解いていこう、をやりたくない。目の前に問題があって、全く歯が立たないわけではなく糸口は見えているのに、その思考をいったん止めて横に置く、ということが性格的に苦手でした。その結果、時間切れになることも多く数学の点が伸び悩む、ということがたびたび起こっていたんですね。
いったん横に置く、ができると開けた視界
高校進学時に文理選択をしないといけなかったので、結局理系は選ぶことができず文系に進みます。数学は苦手なわけではなく相変わらず好きな科目で、「前から解きたい」という思考を受験のシステムに合わせてシフトチェンジすることを高校3年間かかってやった気がします。
受験を目前に控えるころになって、ようやくシフトできた実感が出てきます。そもそも、大学受験(二次試験)の数学って全問正解するようなことを想定していないんですね。超難問も比較的解きやすいものも織り交ぜてあって、トータルで○%くらい点数が取れればOK、みたいな仕組みになっている。これを理解したときにパパーンと視界がひらけた感じがしましたね。取り掛かってみて、これは最後までたどり着けなそうだと思ったら途中でいったん横に置く。急にできるようになりました。
このシフトチェンジが気持ちよかったので、大人になったいまも随分助けられている気がします。取り掛かってみて、ちょっと今じゃないなっていう気がしたらいったん横に置く。でもやめるわけじゃない。別のことをやってるうちに解決のヒントが浮かぶことも多々あります。(逆にずいぶん多くのことを横に置いたまま同時進行してるので周りに迷惑かけたりもしてますが)仕事上もこの思考はプラスに作用することが多いと感じています。
真実はひとつ、思考は多様に
その後、数学について感じたこと。ずっと好きな科目であったのは「真実がひとつ」である点なのですね。解き方はいろいろあるけど、解はぶれない。
数学が含まれる自然科学と、文系科目が含まれる人文学という分け方もあります。人文学は「人間が作り出したものを研究する学問」で、自然科学は「それ以外を研究する学問」と言われたりしますね。
人類がこの世に誕生する前からずっと、25に4を掛けると100、という法則は変わらない。人類がそのような表現方法で理解をしているだけで。真実はひとつだけれども、そこに至る思考がいくらでもあるというのは、到底すべてを理解し尽くすことができない膨大な自然の法則に対して人々がさまざまな思考をぶつけてチャレンジし続けている感じがあっていいですね。新しいアプローチを発見すると、これまでの難問が氷解するように解けてゆく感じもいい。そうやって自然の法則の前ではちっぽけで無力な人間の、多様なアプローチの思考の蓄積が数学の解法には現れている感じがします。
ある方法で登ってみてダメだった山に、また違う道から登ることはできないかチャレンジする。登るための道具やノウハウを、先人たちが次々に残して行ってくれている。そんなイメージです。
数学エンターテインメント、も新しいアプローチだ
次回のMBCラジオ「RadioBurn+」(土曜18時~/Radikoでも聴けます)ご出演予定、鹿児島ご出身の藏丸竜彦先生の作品「数学ゴールデン」(ヤングアニマルZEROにて連載中)はタイトルの通り数学がテーマになっています。これも新しいアプローチなんじゃないでしょうか。
(1話目試し読みできますのでぜひどうぞ)
読んでたら、数学のシフトチェンジに苦しんでいたあの頃の自分の頭の中が少し思い出されてきました。自分にとって数学は得意教科だったかというとそうではないけれど、その後の人生に大切な「視点」を与えてくれた科目。
世の中の問題は、簡単には答えが出ないものばかりで、何が正解かもわからないものがほとんど。そういった世の中を生きていくんですから、「正解が決まっていて思考は無限大」の数学的思考法が役に立たないわけがない。解けなかったとしても思考したこと自体は意味があるんじゃないかな。
ちなみに数学の本ではないですが、問題解決へのアプローチというテーマだと自分が必ずおすすめしている本がありますので「数学ゴールデン」とともに最後に貼っておきます。この続きはオンエアでお会いしましょう。
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