金製弁護士バッジが作成されるようになった経緯について(powered by 国立国会図書館デジタルコレクション)
「国立国会図書館デジタルコレクション」がとても楽しいです。
本稿を読まれるような好事家には説明不要かも知れませんが,これは,国立国会図書館が保有しているデジタル化された昔の資料を利用者登録してログインすれば(一部はそれすら不要で!),全文検索して色々探せるという時間泥棒です。本当にこういう時間泥棒を次から次へと世に出すのを止めて欲しいんですが・・・。
そんなおもちゃで先日遊んでいたところ,初期の「自由と正義」も自由に正義できることが分かりました。さらに調べてみたところ,標題のとおり,金製弁護士バッジが作成されるようになった経緯が判明したから整理してご報告します。
本稿を読まれるような好事家には説明不要かも知れませんが,弁護士バッジは銀製で金メッキが施されているのが通常の仕様で,弁護士が特に要望をすれば(18)金製のバッジの交付を受けることができるとされています。
自由と正義8巻9号(昭和32年9月号)
昭和32年9月1日発行の「自由と正義」8巻9号の表2(表紙の裏面)に,以下のような記事が掲載されていました。
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ご覧のとおり,日弁連とは全く無関係の業者が,個々の弁護士対して金製の弁護士記章の注文を受けるという広告を出していたということのようです。そして,そのように作成された弁護士記章は真正のものではなく,規則違反となるので気をつけられたいという注意喚起をしています。同時に,金製バッジを希望するのであれば日弁連に申し出よとも書いてあります。
自由と正義8巻10号(昭和32年9月号)
翌号である8巻10号の55頁の「連合会だより」の全体理事会の報告では,とりあえず事務総長名を持って注意的広告をした,当時のバッジにもメッキが剥げ褪色する欠陥があることがこのような業者の登場を招いた,とはいえ金製バッジを希望する者がいるので,造幣局の保管する原型によって作成して旧バッジと引き換え交付する等の対抗措置をすること等が確認されています。
自由と正義9巻1号(昭和33年1月号)
その後,昭和32年12月の理事会で「弁護士記章規則」の改正が承認され,金製バッジ交付が制度化されました(昭和33年1月施行,9巻1号46頁)。この改正条文は今では整備されて何なら規則ごと全部改正されてしまっているのですが,現行規則の3条3項の「弁護士から"特に"金製弁護士記章の交付の申出があるときは」の「特に」の部分はこの改正条文に由来するものです。条文解釈上「特に」は全く不要な文言ですが,金製バッジ導入時のことを今に伝える,大変に味わい深い条文になっているわけです。
「アカデミーみなみ美術社」はどうなったのか
そうすると気になるのが,金製バッジの発案者である「アカデミーみなみ美術社」がどうなったのかでしょう。
Google検索やお決まりの登記情報サービスや登記簿図書館でリサーチしましたが,全く分かりませんでした。
さすがに60年以上前の会社を追いかけるには限度がある。しかし,よくよく考えると昔の文献情報を調べる術を我々は知っているではないか。ということで,「国立国会図書館デジタルコレクション」内で調べてみることとしました。
そうすると,「ダイヤル風流譚」(著者:穴吹義教,出版:圭文館,昭和37年刊行)という文献に行き着きました。同書は,電話にまつわるトリビアを紹介しているエッセイであり,著者と同姓同名の人物が「元四国電気通信学園長」として平成23年に瑞宝双光章に叙せられていることから,事実と専門知識に基づいた知見を表明したものだと考えられます(あとがきにも「ただ,断っておきたいことは,ここで採り上げた話は,全部実話ばかりである,ということ」とあります。)。
で,同書には以下のような図表が示されていました。
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要は「『アーイーセルアカデミーみなみ美術観光株式会社』という会社があったが,電話帳で一番上に表示させるために,『セル』の文字列を落とした」という小咄です。
この会社,「アカデミーみなみ美術社」とは微妙に社名が違いますが,もともと「社」としか書かれておらず不正確なニュアンスがあること,「アカデミー」とひらがなの「みなみ」と「美術」がつながる名称はありふれたものとまでは言えないこと,そして何より弁護士に金製バッジの営業をかける商魂たくましさと社名変更をしてまで電話帳で首位に立とうとする姿勢とが符合することからすると,おそらくこの会社が「アカデミーみなみ美術社」だったのではないかと私は推察しています。
ただ,この会社であったとしても,そこから先は全く分かりませんでした。「世(田谷区)経堂700」の地番を調べて,住居表示された現在では千歳船橋駅近くの世田谷区経堂4丁目付近であることまでは確認しましたが,そこからは情報がありません。
金製弁護士バッジを愛好する弁護士は私の周りにも多く,愛好者の声を伝えたかったところですが仕方ありません。
「ひまわりが正義の象徴とされる理由はよく分かっていない」のもそうでしたが,弁護士バッジを巡る話には由来について分からないことがあるということがつきものということなのかも知れません。
おまけ
以下,「本件とは全く関係ないが初期の『自由と正義』本誌の調査中にわかった好事家向けで単独の記事にするまでもない面白情報」を箇条書きでお伝えします。
・旧「アンダーソン・毛利・ラビノウィッツ法律事務所」のネーミングパートナーであるラビノウィッツ弁護士が寄稿している(8巻9号7頁)。当たり前だけど,実在したのか(そりゃそうだろ。)。
・和歌山県で行われる人権秋季総会(今で言う人権大会と思われる。)の費用として「20万円」が拠出されている(8巻11号55頁)。「昭和33年当時の300万は今の3000万以上」(Ⓒアカギ)とされていることを考えても,低いような気がする。
・全体理事会で「綱紀・懲戒申立事件の調査費用予納制度研究」が議論されている(8巻12号49頁)。この当時から問題意識があったものの,現在に至っていると思うと色々と思うところがある。
・日弁連には「税務対策委員会」というものが存在しており,国選報酬の課税について建議を行っている(8巻12号49頁)。こういう会員のための活動を今の日弁連は行っているかどうか。
・東京弁護士会大運動会が昭和32年11月3日に開催され,1500名の会員・家族が参加した(9巻2号25頁)。来賓に日弁連会長,最高裁事務総長,東京高裁長官を迎え,最高裁長官・法務大臣・日弁連会長・検事総長・東弁会長からそれぞれ贈られた大優勝杯が賜与されたとのこと。
・「衆議院議員弁護士当選者名簿」が掲載され,(数え間違えがなければ)54名の氏名が掲載されている(9巻6号17頁)。昭和33(1958)年5月28日に行われた第28回衆議院議員総選挙のようである。年号から分かるとおり,いわゆる55年体制後の初めての総選挙であり,467議席のうち287議席を自由民主党が獲得した。467議席の内54議席が弁護士というのは非常に多い印象がある。