隣々とベルの音 [R6.11.4]
隣人が居なくなっていた。
隣の角部屋に入居してきた時は騒々しく引っ越しをしてきてその後ちゃんと挨拶に来るような誠実そうな人間が、私の預かり知らぬ所でいつの間にか居なくなっていた。
窓から部屋を覗き込むと何もなく、残された遮光カーテンが部屋全体を薄ぼんやりと照らしていた。隣の部屋なので当然自分と同じ部屋の間取りだと気付いた。この奥に私の部屋があり、同様に奥にもその奥にも同じ間取りが続いている。私だけの住処だと思っていた部屋と同じ形の空間が何個も連なっていると思うと不思議な感覚だ。私が選んだこの場所はあくまで誰かに用意された物だと思い知らされた気分だった。
いつも出勤する時に部屋の内側からテレビの音が聞こえていて、私の部屋には無いテレビの音を聞くと少し嬉しくなっていた。そんな朝はもう来ない。でもまぁ別にだな、テレビ買えばいいし。他人の生活を感じられるのは趣味が良いとは言えないけれども何か社会と繋がっている気がする、そんな大層では事では無い。他人に対する解像度が上がって自分の外側にある人生に想いを馳せるみたいな感覚に近いかもしれない。みんなもNPCの裏設定とか見るの好きでしょ?あれです。
次はどんな人が来るのかな。
いや、そもそも人が来るのか?
私が住んでる斜め上、つまり隣人が居なくなった上の部屋は外から見て分かるほどに荒れている。カーテンの床に擦れる辺りは黒く変色しておりベランダには不明な液体が垂れた跡が凝固している。当然、フェンスも錆びています。その部屋番号の駐車場にはバンパーが取れかけタイヤも全部パンクした廃車同然の鉄くずが置いてあるのだ。家賃が安いのってこれのせいか?
でもでもですよ、確実に生きてるんですよ、そこの住人は。夜になれば部屋には明かりが灯るし、朝には消えてる。私の上階は空き家なんだけど明らかに上から壮年の人間のいびきが聞こえる。だからほぼ確実に生きてるんだよなぁ……う~ん……一回も会った事無いし事故物件になったから逃げだしたわけじゃないよなぁ。
気にしても仕方ないな。世の中には解像度を上げると困る事もあるしね。人形の造形を人間に近づけていくとある一定の範囲から不気味さを感じる「不気味の谷」と言う現象がある、今私はこの状態に近づきつつある。居なくなった隣人のリアルな生活感からは人間を感じ取れるが、奇怪な住人をデフォルメしてしまったが最後これ以上は近寄れない気がする。もしも体毛が汚らしく生えた中年男性だったら?保護が必要なまでの老婆だったら?私は実際どうしようも無いしどうするつもりも無いのだけれども天井を見つめる度にその住人の顔を思い出してしまうだろう。私と居なくなった隣人、奇怪な住人の三点が織りなすシミュラクラ現象だ。やだな~~~~~~~~~~~
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