映画記録2021年12月
ディア・エヴァン・ハンセン
ミュージカル映画と孤独な少年の物語、相性はいかほどかと思ったが
作中の楽曲の点から言うと心から素晴らしかった。
震えるような声で歌いだすエヴァンの歌声は感情の揺らぎがこもってなお美しかったし、作品内での孤独感が透明な声にマッチしてとても響く。
ただ、内容から言うと人によって千差万別の感想を見られそうな部分が興味深い。
(以下はネタバレを含みますので未見の方はご注意下さい。)
穿った見方をしてしまう人間としては、
妹の金を奪い、部屋のドアを殴る息子を優しい子だったと言い張り現実を美化して止まないコナーの母、
優等生でプロジェクトの結果のみに執着し、友人の心情などを斟酌できないまま遺書を公開してしまったアラナ、
息子が恋人の両親に評価され、大学資金を融通してもらえそうになっても厚意を受け取れず、
後々には追い詰められて体育座りする息子に一生そばにいると歌い上げるエヴァンの母、
そして自殺したクラスメイトと友人だったと嘘に嘘を重ねる主人公エヴァン。
この作品に登場する人物全員がどこか歪で弱さを持っているように見える。
みな自殺したコナーを悼む形をとりつつ彼の死への自分の置き方を求めている。そこに生前のコナーを見つめるものはいない。
(果たして自殺したコナーが追悼プロジェクトなど望むだろうか。
私ならそっとしておいてほしいし、どうでもいい人間に
自分の死を我が事のように語られると思うとゾッとするが。)
だからこそエヴァンの噓は自白するまで実の家族にもバレないのだ。
この作品に誰もコナーの心情を思いやる人間はいない。
そしてそれでいいのかもしれない。
葬儀が遺族のためにあるように、一番大事なのは今生きている人間に違いないのだから。
彼らは弱い。そして私たちも同様に弱さを持っている。それでいいのだ。
作中エヴァンが歌い上げる歌とエンドロールに出てくる文言が一番に伝えたいことだとするなら、
清濁併せのんでビターエンドに帰着するこのあらすじは確かに正しいのかもしれないと思った。