えだまめは、先生
今私は、枝豆の枝の下で寝ている。
土から抜いて1週間たった枝からは、青青しい香りがする。歯切れの良い、ビビットで深い青緑色。生命の生きている匂いがする。
枝は、有機的な曲線を持ち、1歩でも前に、空へ向かって行くシルエットとなって、私の目を釘付けにする。
KIRI CAFEのマンスリーイベント・World civic tour で ライスバレーの枝豆の収穫祭をする事になった。京都•南丹市で、農業を行っているライスバレーにて、収穫をお手伝いさせて頂いた時にいただいた根っこから葉まである枝豆。この枝豆は、自然農法で、化学肥料、無農薬、無除草で育てられている。
テレビや広告を見慣れた私にとって、畑とは、整然と野菜が並び、遠くから眺めてもその畝を確認出来るものが畑と言うイメージだったが、自然農法の畑は、枝豆と雑草の違いに目を凝らさなくてはいけないように、境なく生い茂っている。それは、猪よけのフェンスも相まって、生命バトルが一面で繰り広げられている広大なリングようにみえた。
そして、そこへ初めて行った時の呆然とする感覚は、今でも忘れられない。
枝豆を観察してみよう。
葉が広々と傘のように広がり、日光を浴びている。その傘の根本の方にそっと佇むように実をつけ、成長していく。もちろん、根っこから、水分を飲みつづけているが、同時に根本に付いている根粒菌は、地中の窒素の循環も行なっている整備隊。枝は紫外線や乾燥から身を守るため、体毛のように、産毛がたくさん生えている。あまりの産毛の量で、写真を撮ると光が屈折して、現世のものではない見え方をしていた。
枝豆は、鮮度が命。枝から取って即茹でるのが一番美味しいとのことで、収穫している間に茹でてもらった。一粒一粒が大きく、ぷりっとしていて、かわいさも感じる。大きさに感動しながらも口に入れると、豆の豊かな味とともに、色が見えてくる。一粒目は、豆の青い味。次の一粒は、とうもろこしのような甘みを持っている黄色い味。七色に広がる枝豆、一粒一粒に感動してしまい、全く手が止まらない。
今まで、居酒屋でパクパクと食べていた枝豆に、こんな感情を揺さぶれたことはない。茹でた枝豆は、美味しさだけでなく、ワクワクし、発見する喜びを与えてくれる。野菜自体が育つまでに体験していた景色を、香り、形、味覚を持って私達に伝えてくる。それは、野菜であると同時に、枝豆が育つまでに体験した記憶を再生するメディアのように感じた。これは、決して顔を知っている農家の野菜だからではなく、イタリアの市場で買った新鮮なトマトでも同じ体験をした。
私がスタッフを勤めてる、かめおか霧の芸術祭では、農家も芸術家と言っている。その言葉を半端な理解とともに、なんとなく使っていたが、今まで様々な農家の方々から聞いた話しや、この枝豆を通して、やっとこの言葉の意味がわかった。
収穫した帰りに、虫食いされた枝豆を頂いた。
茹でて、鞘から出してみるとほとんどが虫に喰われておらず、食べられるものだった。鞘の下にある薄い皮によってしっかりと豆が守られていたからだ。
次に子孫を残して行く気持ちは、野菜の方が遥かに強く、その生命力は、私にとって見本のように感じた。
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