2021年10月。MATCHAを退職し青森に移住します!
植松。先週から青森で暮らしています
生まれて初めての退職エントリーです。
タイトルのとおりですが、MATCHAを退職し、青森での生活をスタートさせています。まだご挨拶ができていない方、突然のご報告になり申し訳ないです。ぜひ落ち着いたら改めてご連絡させてください。
という文章を、いままさに青森の新居で書かせていただいています。
壁の色にめちゃくちゃ特徴がある青森の新居。妻がすみっこぐらしのとかげ好きだからという説がある
縁もゆかりもない土地で、特にまだ青森のいいところもお伝えできないのですが、これから少しずつ見つけてみなさんにもお伝えできたらと思っています。
どうして青森に?
■コミット地域を探す年だった2021年
インバウンドのお膝元である東京・浅草から遠く離れた青森県・青森市にやってきたのは、ほとんどご縁という他ありません。
実はもともと、2021年はコミットしたいと思える地域を探す年、にしようと思っていました。
■MATCHAで働き、高まっていた地域への思い
MATCHAに入社して6年あまり。この会社での仕事を通じ、日本の地域に対する知識や思いは年々高まっていました。メディアという立場で日本各地の人や魅力に出会えて、そんな人々を応援できる。MATCHAの仕事は本当にやりがいがあり、自分にとって天職だったと思います。
一方で、メディアを使って地域のPRをしたり、依頼を受けた上で何か制作物を作ったり、観光分野の相談に乗ったりという業務は、あくまでも外からの働きかけであり、地域の中に入って新しい観光や産業を産み出したいとも思えるようになっていました。ここ1年くらいの話です。
そこで冒頭に話したように、まずは自分がコミットしたいと思えるような地域を探そうと思っていた次第です。
最初のうちは別に、転職しようとは思っておらず。「二拠点居住しようかな」「たまに現地に行ってワーケーションでもしたいな」といった程度の思いでした。
■2020年。青森との出会い
青森との出会いは昨年2020年の秋でした。私の妻は秋田犬が好きで、秋田犬の本場、秋田県大館市にここ1年で4〜5回ほど遊びに行っています。2020年の秋、3回目となる妻の大館訪問に同行したのが、青森に訪問するきっかけでした。
大館市ふるさわ温泉の秋田犬、"はな"と"はる"。人間より犬の写真写りが優先されている
新幹線で上野から新青森へ向かい、そこから青森→弘前→大館→秋田とレンタカーで巡る旅程でした。
その際、直感的に「青森いいな」と思ったのが最初の印象です。青森というより、青森市や弘前市など津軽全体の印象でした。街としての規模感、蓄積されている歴史・文化。そして何より、アクセスや観光環境に残る一抹の残念感に"自分の力で何か貢献できるかも"という思いをいだきました。
■2021年青森との縁
今年の4月には再度青森に来て、9月に感じた思いを再認識。
「青森が気になる」と発言したせいもあるのですが、地域で活躍する方をご紹介いただいたり、ここ半年で何かとご縁をいただいたような気がします。
夏にはMATHCAで青森のオンライン祭りを紹介する機会もいただきました。
7月にPRした、オンライン青森夏まつりの記事
8月から入社したメンバーが八戸出身だったり。
MATCHAに新しく入社した、八戸出身の東條さん。出典は青木さんのnote
そこに来て、今回のオファー。以前登録していた求人サイトから「青森」と書かれたスカウトが届き、今のポジションに出会いました。
新しい職場「Aomori Startup Center」
これからの自分は、青森駅前にあるAomori Startup Center でコーディネーターという肩書で働きます。
新しい職場となるAomori Startup Center。通称あおスタ。写真は公式HPから
Aomori Startup Center、通称あおスタは、青森市商工会議所の1Fにあるビジネスコミュニティ&コワーキングスペースです。
自分はこの場所で、青森で起業・創業したい方の相談に応じたり、彼らやすでに市内で起業した方をつなぐコミュニティマネージャーのような役割を担う予定です(目標込みです)。
Twitterやnoteも開設したので、ぜひフォローしてもらえると嬉しいです。
インバウンドには一生関わっていきます
MATCHA及びインバウンド業界を離れる理由は、地域へのコミット以外にもあります。
ご存知のように、観光は産業の総合戦です。食・工業・文化、その地域に根付いたすべてが、観光という場で商品になります。
「インバウンドは日本のショールーム」
そんな言葉もあるように、観光というステージは地域の魅力を内外の方にお披露目する場だとも言えます。日本の魅力がぎゅっと集まった観光という業界を、変わらず自分は愛しています。
いずれは自分が選んだ青森でインバウンドを盛り上げていきたい。そう思っています。
あおスタでの活動は、地域の事業者さんと出会い、絆を深めていくのが仕事です。地域で活躍する人々を知り、彼らの強みを磨き上げる。あおスタでの活動が、未来の青森観光の基盤を形作るものだと信じ、今回のオファーをお受けしました。
MATCHAを通じて自分の生きる道を選べた
長年暮らした東京を離れ、さらに言えば生まれ故郷の広島からも遠ざかり、青森で新たなチャレンジをしようと思えたのも、MATCHAで働いてきたからでした。
「インバウンド・観光を一生の仕事にしたい」と、自分の生きる道を選べたのも、MATCHAでの仕事を通して日本各地の魅力やそこで活躍する人々に出会えたからでした。
青森への移住は、妻の応援や同意なしには有りえませんでした。そんな愛する妻、生涯の伴侶と出会えたのもMATCHAという会社の中でした。
そう考えると、いま自分がこの場所にいるのは、本当にMATCHAのおかげです。MATCHAや創業者の青木さんには、感謝の気持ちしかありません。
MATCHAでの思い出
MATCHAでのエピソードはたくさんあり、すべてをここに書くことはできませんが、少しだけ思い出話をしてみたいと思います。
■千駄ヶ谷の小さなアパートで
MATCHAに入ったのは2015年5月のこと。4月くらいから試しに入社し、5月に正式契約したような気がしますがあまり覚えていません。それくらい昔のように感じられます。
当時のMATCHAは、千駄ヶ谷の小さなアパートをオフィスとしており、1Fが打ち合わせスペース、2Fが作業スペースでした。初回面談は当時いたスタッフだったのですが、彼も今はもういません。仮にAさんとしますが、Aさんが話している内容に何かズレがある。
よくよく聞いていると、自分は編集者応募をしていたのですが、彼はライター応募だと思って対応しているようです。「あの、Wantedlyの編集者募集に応募したのですが……」というと、Aさんは驚いて別の方を呼びに上のフロアに行ってしまいました。
なんとなくあれが「会社未満」のベンチャーを感じた最初の瞬間だったように思います。ただし当時の僕としては、「この会社大丈夫かよ」みたいな感想を持っただけでした。
■バスタブの中の白骨
待っている間トイレに立ったのですが、そこでも驚きがありました。アパートオフィスなので、当然建物の中にはお風呂があります。場所はトイレの隣だか向かいだったと記憶しています。
そのお風呂に何か気配がある。「失礼かな?」と思いつつ中を覗き込んでみると、バスタブの中に何か白い物体がある。直感的に"白骨死体だ!"と思い血の気が引いたことを強く記憶しています。
あとから聞くと、青木さんが乗っていて壊れた白い折りたたみ自転車をバスタブにぶち込んでいたらしいです。
なお、その自転車はオフィスが引越したあとも含め、その後2年くらいオフィスに残っていました。
「やべえところにきた」
それがMATCHAの第一印象でした。
千駄ヶ谷のオフィス。すみません、青木さんのnoteからパクりました
前任者はいない。多言語編集部の作り方
■自分のやるべきこと
第一印象というか、第四印象くらいまでは「やべえ」でした。
次に受けた大きなインパクトは、出社初日のことでした。社内のコミュニケーションツール、メディアの管理CMSなどを教わったところです。
「それで、このメディアはいま誰が運営しているんですか? 編集の方に業務を教わりたいんですが」
青木さんの答えは驚かされるものでした。
「いま編集者はいないんです」。
自分のやるべきことが一瞬で理解できました。
■初めてのマネジメント、初めての外国人マネジメント
編集者のすべていなくなったMATCHAメディアを1から作り直すために、やらなければならないことは本当にたくさんありました。
そもそもそれまで紙媒体の編集者だった自分は、HTMLもワードプレスもMATCHAに入ってから覚えました。
体も張ったよ……
何より大変だったのは多言語編集部の立ち上げです。MATCHAはいまでこそ10言語を扱う多言語メディアですが、当時は日本語、英語、繁体字、韓国語、やさ日くらいしかなかったような気がします。
それも編集部があったわけではなく、日本語の記事を翻訳する翻訳チームがあっただけでした。
外国人に読まれるためには、ネイティブ自身が編集を行わなければいけない。ということで、外国人編集者を募集したのですが、それが大変でした。特に英語。
日本人の僕には英語の精度はわからず、過去の実績や第三者の意見を聞くしかありません。とあるメンバーの翻訳は、あとから見れば誤訳だらけでした。
とあるメンバーは、ある日突然怒り出し、テーブルをドンッと叩いてオフィスを飛び出し、二度とは戻ってきませんでした。
彼らの名誉のためにいうと、当時は翻訳精度管理の仕組みや、外国人に対するマネジメント経験が不十分でした。そのため上記の問題は自分の責任です。
なんどもいろいろな方と出会い、最後に出会ったのが、今の英語版編集長のラモーナさんです。
ラモーナさん。この写真も青木さんのnoteから引用している……
最終的に良い方がたくさんあつまり、彼ら彼女らの力で、MATCHAは国内最大級のインバウンドメディアに成長しました。
代表の青木さんとの思い出
青木さんとの思い出には、ろくなものがありません。でもどれも大切な思い出です。
アポに遅刻しそうになり、よく駅から一緒に走りました。クライアントのすごく有名で偉い人のところに、一緒に謝りに行きました。いろんな汗をかいたな。
大事な会議の場で青木さんが答えに窮した時に限って、「植松さんはどうですか」と無茶振りされました。これは本当によくあった。
おかげでどんな会議中でも発言を用意する癖がつき、即答する能力が磨けたと思います。
二人で行った豊岡市出張。死ぬほどそばを食べた。
青木さんは「社長しかできない」と自分でもよく言っていましたが、本当に欠けた部分と尖っている部分の極端な人です。
そのために苦労することも多かったですが、それ以上に貴重な体験を青木さんを通じて得られました。
何者でもない自分がいろんな方、機会と出会えたのは青木さんがMATCHAの社長をしていたからだと思います。自分以外にも、MATCHAを離れた人も含めて多くの方が、MATCHAを通じて多くの成長や出会いを手に入れられたと思います。
ありがとうございました。
ベンチャーらしくないベンチャー「MATCHA」
MATCHAという会社や、個人・法人で様々な方の援助によっていままで継続できています。
そんな支援者の方々がMATCHAを評するとき「ベンチャー企業らしくないね」ということを褒め言葉として伝えてくれます。
ガツガツし過ぎていないで、楽観的で、チーム全体がわきあいあいとしていて、インバウンドの未来をみんなが明るいものだと信じています。
それは青木さんのパーソナリティであったり、海外メンバーの多い職場という点も大きいと思います。
ビーガン、ムスリム、子育て中の方などなど、多様な方が集まる空間のおかげで「無理してでも成長することが正義」なベンチャー的価値観に対して、一歩距離をとって考えることができたと思います。
「大学のサークルの雰囲気が残っている」
と、とあるメンバーが言っていたことも覚えています。もう30代ではありますが、MATCHAでの日々は、間違いなく僕の青春時代だったと思います。
けっこう前の集合写真。けっこう前だ……
楽しかったなあ。
「この会社つぶれるな」の実績解除
「あ、この会社つぶれるな」
MATCHAに入ってそう思うことは何度もありました。そのたびにメンバーが減り、不安にも駆られましたが、結局自分はいままでやめませんでした。そして会社もつぶれることなく成長しています。つぶれないんだよ。
根本的な部分で楽観的だったのだろうなあと今思えば思います。例えるならば「ベンチャー企業人生ゲーム」を遊んでいるような気分でした。
「資金のショート」「社員の大量離脱」「重要クライアントからの大クレーム」などなどのイベントを体験するたび、脳内で「実績解除」のテロップが踊っていたような気がします。
MATCHAのみなさんへ
多少ヒリヒリしてないとつまらない。MATCHAのおかげでそんなメンタルになったのか、もともとそんな性格だったからMATCHAになじめたのかよくわかりませんが、どこでもなんとでも生きられる人間になれたと感謝しています。
楽しかった。
「上場」の実績解除まで一緒にいられなかったことだけが心残りです。青木さん、MATCHAのみなさん、自分に代わってぜひ達成してください。MATCHAならできる。
去っていく人間が言うのはあまりよくないかもしれないけど、本当にそう思います。
最後に
友人から「欲しい物リストを公開してください!」と言ってもらえたので、公開させていただきます。
青森市は、この規模では世界でも珍しいほどの豪雪地帯らしく、青森で会う人すべてのビビらされています……。ということで雪対策グッズ多めなリストです!
「青森市 雪」の画像検索結果。ひぇっ……
いつか青森で会いましょう!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?