(ア)ロマと(ア)セク~なぜ併記するの?
こんにちは! へんぷくです。
ここまで「広義の無性愛」、およびその下位分類の一つである「狭義の無性愛」「非性愛」についてお話ししました。では、これらの性的指向を持つ方たちは、自己紹介や出会いの場でどのように表現すればよいのでしょうか?
実は、当事者がプロフィールで単に「無性愛」と自己表現することはあまりありません。かわりに、より具体的にどのようなセクシュアリティなのかを示すため、複数の表記を使って表現されることが一般的です。今回は、そうした表現方法について見ていきましょう。
SAMとは
SNSやマッチングアプリなどのプロフィールを眺めていて、「アロマンティック・アセクシャル」「グレーロマAセク」「Aロマ・セクシュアル」などの表記を目にしたことがある人がいるかもしれません。どれも「無性愛者」をあらわす用語のように思えますが、一体これらは何を意味しているのでしょう? その疑問を解くカギとなるのが、あるモデルの存在です。
「SAM(Split Attraction Model:分離魅力モデル)」をご存じでしょうか。「分離魅力」とは奇妙な響きです。なにしろ我々にはすでに「他人に感じる長期的な情緒的・恋愛的または性的魅力」を指す「性的指向」があります。もう分かれているはずのものを、これ以上どう「分離」しようというのでしょうか?
それは、「情緒的魅力」「恋愛的魅力」「性的魅力」(文献によってはもっと細かく分けられています)の間の結びつきです。すなわち、それぞれの魅力が必ずしも結びついて現れるわけではないということを示します。たとえば、性的魅力に惹かれたとしても、それがそのまま恋愛的魅力に繋がるわけではありませんし、逆もまた然りです。各魅力同士の結びつきの程度は人によって異なり、完全に一致する人もいれば、ある魅力から他の魅力へ繋がるのに時間がかかる人、まったく独立していると感じる人もいます。
さて、SAMの考え方の下では、今までの「性的指向」という括りは意味を持ちません。その代わりに、「情緒的指向」「恋愛的指向」「性的指向※」といった新しい概念が導入されます(他の魅力についても同様)。
・情緒的指向=特定の性別に情緒的魅力を感じる性質
・恋愛的指向=特定の性別に恋愛的魅力を感じる性質
・性的指向※=特定の性別に性的魅力を感じる性質
このモデルにより、無性愛の中でも「恋愛的魅力を感じないことによる無性愛」「性的魅力を感じないことによる無性愛」などを表現し分けることができます。複数の特徴を兼ね備える人は「(恋愛的指向)・(性的指向)」の順に表され、たとえばアロマンティック・アセクシャルは恋愛的魅力と性的魅力の両方を感じない人を指します。一方グレーロマAセクは、恋愛的魅力を感じることがあるが、性的魅力は感じない人を指します。Aロマ・セクシュアルは、恋愛的魅力は感じないが、性的魅力は感じる人を指します。
このように、SAMに基づく表記方法では、従来の性的指向だけでは表現しにくい性的魅力や恋愛的魅力、その他の魅力についての個別表現ができるようになり、より多様な表現が可能になります。また、自分自身を理解する上でのツールとしてもより正確で有効なものとなります。
SAMの欠点
しかしながら、このSAMにもいくつか欠点があることが指摘されています。まず上記のように、既にある「性的指向」という用語に新しい意味をあてはめているため混乱を招く可能性があること。実際、とある専門サイトでは、性的指向の定義がページごとに異なっているほどでした。
既存用語との混同はまだあります。SAMにおいて恋愛的指向と性的指向が同じ場合……たとえば「アロマンティック・アセクシャル」は慣習的に「アセクシャル」と性的指向に片寄せて省略されます。では、ただ「アセクシャル」とだけ書いてあったらどうでしょうか? おそらく多くの方は「SAMではない従来の性的指向がない人=他人に魅力を感じない性質」と解釈するでしょう。ですが、「SAMでいうアロマンティック・アセクシャルの省略形=他人に恋愛的魅力と性的魅力を感じない性質」とも「SAMでいう性的指向がない人=他人に性的魅力を感じない性質(その他の指向については言及なし)」とも解釈できてしまいます。さらには「SAM表記だが、アロマンティック・アセクシャルと書かないからにはアロマンティックではないはず」との思い込みも働きかねません。
だったら省略しなければいい? 現実問題として省略は広く行われていますし、そうすることを選んだ当事者たちの理由もあるのです。
「文献によって」の罠
魅力の違いを明確に表すための手法であるSAMですが、実のところ、まだ完璧とはいえません。その要因のひとつに、「基準が曖昧」という点があります。SAMの表記法では、魅力的だと感じたときの感覚を分類し、それぞれに固有の用語を用いることになります。しかし一方で、そもそもどのような基準をもって魅力を測ればよいのかという指針が示されていません。ある程度の合意を得ているとされる用語に限っても、
(息継ぎ)
、と実に多様です。これらの言葉ひとつひとつについて「感じるか感じないか、感じるとしたらどの性別に対してか」を区別するのは困難ですし、現実的でもありません。さらに言えば、ある魅力が他の魅力とどの程度重なり合っているのか、また、魅力同士の間にどんな違いがあるのかも個人差が大きいところです。
「わたしには『恋愛的魅力』という概念がないので、恋愛的指向があるともないとも言えません」
「『恋愛的魅力』と『性的魅力』は同じものだと感じるので、わたしは恋愛的魅力を感じる性質のことを『性的指向』と呼びます」
「すべての指向を書き並べようとは思いません。多くの人が『情緒的指向』を自己紹介に使わないのと同じように、わたしは『恋愛的指向』を自己紹介に使いません」
このような人にとって、「恋愛的指向を省略するな」という注文は無理難題に感じられることでしょう。省略するしない以前に、「恋愛的指向」という言葉をあえて使わない選択をした人たちだからです。これはSAMを否定するものではなく、むしろそのメリットとデメリットに真摯に向き合った結果といえます。
SAMは、さまざまな人のニーズに応えるために考案されたものです。ですがそれはただの表記法にとどまらず、「魅力とは、指向とは何か?」「指向はいくつ存在して、そのうちどれを名乗るべきなのか?」という極めて個人的・感覚的な問いに対する「正解」として扱われるようになってしまいました。その結果、各人の自己理解を深めるものであったはずのSAMは、一部の人々を置き去りにして発展してしまったのです。
それでも
無性愛者の人々は、自分たちの感覚を語り合う言葉を長いこと持っていませんでした。そして今ようやく、少しずつではありますが用語の統一が進もうとしています。
ここで取り上げた概念は、あくまで現時点で流行している表記法というだけであり、まだまだ議論の余地があるものです。また、個人によっても解釈が異なる場合があります。そのため、この記事で紹介した表現はあくまで参考程度にとどめていただき、ラベルではなく意味に立ち返ったうえで誤解のないコミュニケーションを図っていただければと思います。
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