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敷かれたレールに乗っていたらうつ病になって休学してしまった大学生の話⑤

はじめに

ご覧くださりありがとうございます。
毎度のことで恐縮ですが、この記事はシリーズものになっています。
はじめましての方は以下のリンクから過去の記事も読んでいただけると幸いです。

今日はついに僕がうつ病になり始めた時期からの話をしていこうと思います。おそらく今回とあと一回で終わりだと思います。どうか最後までお付き合いください。

卒論の打ち合わせに追われる毎日

うつ病の影が見えだした8月末

前回、大学院試験が終わりホッとする間もなく研究が再開た、というところまでお話をしました。

時期は8月も終わるころ
9月頭の打ち合わせに向けて必死に卒論と向き合っていました。
大学院試験が終わった後、常に頭の中には卒論のことがあり、、

  • 大好きな音楽フェスの参加中にも「これが終わったら卒論をやらなきゃ」

  • バイト中も「卒論進まない、どうしよう…」

  • お風呂や食事中、寝る前にも…

こんな風に何をやっていても卒論がよぎる、そんな時期でした。
仕事でうつ病になる人も四六時中仕事のことを考えていて休まらないという風なことを聞くので同じような状況でした。

迎えた教授との打ち合わせ

結局頭で考えてはいても進まないものは進まない。
そんなこんなで迎えた教授との打ち合わせ。
進捗はほとんど無し不安焦りから研究室に行くのにものすごく緊張していたと思います。

教授との打ち合わせ、確かこんな感じでした。

僕「ここからが全然わからなくて」
教授「ここは前教えたじゃん?次までにはやってきてね?それと追加でここまでやってくること。」
僕「その新しいところは具体的にはどう進めれば…?]
教授「ネットにやり方載ってるから。自分で調べてやってきて。」

こんな感じで結局はやることがただただ増えただけ、という感じでした。

解析系の研究で全く触ったことのないツールを何種類も使い、さらに調べてもやり方が必ず出てくるわけではない。1つ1つの進捗に莫大な時間がかかる研究でした。

2週間後のうち合わせ(9月中旬)に向けて

2週間後にまた打ち合わせをするから。
そういい残されて打ち合わせは終了。
その日のうちから時間があれば卒論を進めていました。

ただやはり、1つ1つの進捗に莫大な時間がかかりました。
調べてはやってみて違い、そしてまた調べる。
そしたたまたま当たってちょっとだけ進む。

それが研究だよと言われればそうだと思います。
だけど当時の私の精神状態ではこれはかなり苦痛でした。

  • 今までの打ち合わせで完璧に仕上げていけたことが無い

  • また次の打ち合わせで「こんなこともできないのか」と思われたらどうしよう

  • そう思われないように完璧にやらなきゃ

こんな感じで1週間過ごしていました。

うつ病と診断された日

徐々に見え始めた様々な体の不調

そうして1週間ほど経ったある日。
いや今思うとある日ってだけじゃなく、もう数日間いつもとは違うことがたくさん起きていました。

  • 大学院試験が終わったのに相変わらずいい睡眠がとれない。夢をよく見る数時間で夜中に目が覚めることが頻発。

  • 朝を迎えるのが怖くなった。正確には打ち合わせの日が近づくのが怖かったのかも。その分夜眠れない日、寝たくない日も増加。

  • 体が鉛のように重くベッドから起き上がれないことが増えた。

  • 毎日涙が止まらない、何がつらいのかもわからないけどいっぱい泣いていた。

  • 〇にたいと毎日思うように。こんなに勉強とか研究頑張ってるのに報われない、生きる意味ってなんだろうと考えだす。

正直あんまり記憶がないのですがずっとこんな感じでした。

大学の学生相談室へ

さすがに自分でもやばいと思い始めたのが9月の中旬。
その勢いでバイトを1日お休みをいただき、近くの精神科に電話をかけました。しかし、

予約が埋まっていて次は10月(電話した日から1か月)からなら予約が空いています。

勇気を出して電話したものの近くのメンタルクリニックは予約でいっぱい。
せっかくバイトを休んだから何とか診てもらいたい。
そんな気持ちで次に電話を掛けたのが大学の学生相談室でした。

電話をして早速学校へ。
10時過ぎだったと思います。相談室でカウンセラーさんの前で号泣
午後から精神科の先生が来るからということで診てもらうことになりました。たまたま精神科の先生が来られる曜日だったのが本当に幸運でした。

うつ病になった

午後から話を聞いてもらってすぐに

うつ病ですね。
まずはゆっくり休みましょう。
病院でもしっかり診ます。
ただ予約が取れるのが二週間後なのですこし時間が空きます。
絶対に治すので、電車に突っ込みたくなっても、交差点に突っ込みたくなってもとどまって生きて2週間後また会いましょう

生きて会いましょう

この言葉がなかったら今僕はここにいないかも、それくらい心に染みました。

休学に至るまで

ひたすら休んだ、だけど…

うつ病と診断されてから、研究、バイト、サークルすべてをいったん辞めました。教授やバイト先の店長、バンドを組んでいた同期と先輩、全員にうつ病を明かしたわけではないですが連絡を入れひとまず休むことに。

ただうつ病経験者なら必ずと言っていいほど通過するであろう悩み

休み方が分からない

これに直面しました。
僕はうつ病になる人はものすごくできた人間だと思っています。
最近は自己肯定感が高くなってきているので僕自身も含みますとだけ言っておきます笑
だから休んだとしても学業や仕事などずっと頭に残っているんじゃないかなと思います。

じゃあどう休むか。これはまた別の回でしゃべろうと思います。

今後の進路をどうするのか

9月、少し休んだことで元気になってきてはいました。ただ、今思うとまだまだ休まないといけない時期だったと思います。

そして今後の進路をどうするか。それをひたすら考えていました。選択肢としては

  1. なんとか卒論を書いて卒業、そして大学院へ

  2. 休学または卒論を書かないことで単位を落として留年し、就活をして来年卒論を書いて提出

この2つでした。そして親の中には1の選択肢しかなかった。これがさらに僕を苦しめました。

休学を決断したが…

10月上旬本当に様々悩んだ結果休学し、就活をしようと思うようになります。そしてこの判断を研究室の教授、カウンセリングをしてくれていたカウンセラーさん、就活を支援してくれている就活カウンセラーさん、多くの人に相談しました。

こんなにも相談した理由はただ1つ。
絶対に親に反対されると思ったから。

前にも言ったようにうちの親は非常に教育熱心
それに加え自分自身がずっと親の目を見ながら生きてきた、だからこそ親を納得させることがいつようだと考えていました。

相談を終えた日の午後、両親に電話を掛けました。

少しここからまた長くなりそうなので今日はここまで
また次回以降話をしていきます。

それでは





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