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わたし は たばこ を すわない

 深夜に唐突に書きたくなったので書く。内容も唐突だが気にしない。

 煙草はアイテムとしてカッコいい気がする。Abemaの「チャンスの時間」の煙草の回を見てそう思った。

 ちなみに私は非喫煙者だ。趣味がカラオケである限りは吸わないし、生まれつきの肥満体系のせいで煙草を吸わなくても十分生き急いでいる実感がある。これ以上死のリスクに怯えてまで喉をイジメたくない、というのが理由の一つだ。

 しかし周りに喫煙者は多い。父と伯父が喫煙者だし、亡くなった祖父も存命の祖父も昔は喫煙者だった。従兄弟の内が数人喫煙者だとも聞く。中学の頃の同級生を見ても何人かがヘビースモーカーだし、サークルの同期にもちらほら喫煙者がいる。

そして私は彼らが煙草を吸っているとき、その銘柄を変に気にしてしまう。

 昔、父は赤のマルボロを吸っていた。今はピースかショートホープを吸っている。伯父はメビウス、友人のAはアイコスでマルボロのメンソール、Bは「チャンスの時間」で煙草愛を語っていた大悟さんと同じ、アメスピの黄色だ。

 なぜこんなにも銘柄を気にするのか、煙草はファッションになりうるからだ。想像してみてほしい。スカイブルーのシャツの胸ポケットに入る黄色のアメスピを。黒のスラックスの尻ポケットから見え隠れする赤のマルボロを。それらはもはやワンポイントのファッションアイテムだ。その日の煙草に合わせて服を変えてもいいと思っている。

 さらに煙草は既定の場所であれば合法的に煙を発生させられる。ライブのステージでもなかなか使うことのできないスモークを焚けるのだ。もはや煙草は舞台装置ともいえるだろう。

 この舞台装置のなか、佇む本人にも注目だ。なんと口元を隠し、虚空を見つめている。こんなにエロティックでカッコつけたポージングを悠然とできる人間はこの世においてパリコレモデルか喫煙者しかいないだろう。

 おまけにサブアイテムが良すぎる。手のひらサイズでありながら可燃性物質を内蔵し発火能力を持つライター、もしくは燐の香り漂うマッチ。どちらも仄かに危なさ漂う乙なアイテムだ。好みの話になってしまうが、ライターは中のオイルが見えるスケルトンな100円ライター、マッチはあまり模様の無い地味な箱のものが良いと思う。煙草の箱の図柄以上の情報量は、むしろない方がカッコいい気がする。

ここまでこの文章を読んでくれた人は恐らく「なんでこいつ煙草すわんの?チキンなの?」と思うかもしれない。実際に私はチキンである。しかし、私が煙草を吸わない理由には、それ以上に先ほど述べた趣味、肥満の話、そして今から話す「叶う意味のない憧れ」の話が関係しているのだ

「憧れていたものを手に入れてみたり、憧れていた立場になってみたりしたとき、思ったよりそれが良いモノじゃなくてがっかりする」みたいな経験はないだろうか。これを私は「叶う意味の無かった憧れ」と呼んでいる。

 もちろんこれを「がっかりするものだと学べただけ良いじゃないか」という人もいるだろう。しかしこれが「結果、叶う意味のない憧れだった」ではなく「叶える前に分かる、叶う意味のない憧れ」だったらどうだろうか。

 どうせがっかりするのであれば、煙草はそこで食らうマイナスを帳消しにする何かを私に与えてくれるのだろうか。今までの経験の中で、その答えは「NO」な気がしている。というか、僕の人脈にいる全ての喫煙者がそう言っている。

 煙草は100%がっかりする憧れなのだ。周りの喫煙者が「吸わない方が良い」というくらいだ。喫煙者をカッコいいと思うのは非喫煙者だけなのだろう。

 言い訳がましいかもしれないが、私はどうでもいいところで抱えてしまった煙草に対する「カッコいい」という感情を「喫煙」という行為で手放したくないのだ。多分この感情を手放して得られるようなものは煙草の中にない。だから煙草は吸わない。カッコいい煙草の前で、私はいつまでもダサい存在で居たい。

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収蔵です。 人間は所詮、外見と中身だと思っています。