私がいなくても進む世界は美しいけれど寂しくて、冷たいけれどスッキリして、今までの私が無かったことになるけど何にでもなれるんだと思わされる
現在無職中で、仕事をしてないとアドレナリンが出ないので、時間があるけどコミュニティにもTwitterにもあんまり顔を出さない毎日を送っている。
こう、行動が急に変わると焦ってしまう人もときたま見かけるが、自分はよくあることなので久々にこの時を楽しんでる。
こちらから誰かに会おうとしない限り、自分から話しかけようとしなき限り、人と接することは少ない。
これは悲しい事なのかなんなのかよく分からないけど、自分も顔をあまり出さなくなった人に対して声をかけることはあまりないので、人が人を認識する意識ってこんなもんなんだと思う。
そう思うと、数ヶ月に1回、連絡しない私に対して連絡してくる親は、よく私のことを思い出せるなって感動する。
実家から離れて約10年。
私の痕跡なんてほとんど残って無いあの家で、どういうキッカケで思い出すのだろうか。
半年前は早起きして、色々文章を今よりは書いて、頭を動かしていたけど
今じゃそんな欠片も無い。
積み上げてきたものが無くなったような感じがするけど、実際はどうなんだろうね。
定期的に潜って、色々リセットして、何も無くなった自分を見つめると、生き方や能力がいつまでも変わった気がしない。
でも些細な行動や選択が変わっているから面白い。
今まで作ったことがないものを作ったり、買い物をしたり。
別に遠くに行くとか、奇抜なことをするとかしないけど、明らかに差分が生まれてる。
こんな無色で意味のない人生でいいのかとか思うけど、何もしなくてもいい時間って改めて考えると贅沢だし、それでも生きれる世界は美しい。
いいんだよ、こういう時間が人生にあったって。こういう生き方を許してくれてるんだから。