善性と悪性、人のあるところ
人には善性が住んでいる。現れるか否かは、ときどき、人によるところではある。だから、世界が善に溢れているなんて、思わない。分かりやすく、善があって、悪があって、境界で隔てられるような場所があるなんて、思わない。
私は、ある人が善ばかりということを疑っている。もっと混沌だ。
もちろん、善ばかりという空間は存在していることも信じているけれど、そういうはっきりした空間は、悪というものも浮き彫りにしてしまうのだ。
ほんとうに、人が善ならば、悪を、悪というふうに捉えたまま、置いてけぼりにはしない。そんなの、悪が、報われないじゃないか。
優しいものに憧れていた。気づけば道は逸れていて、悪に近い道を歩んでいるらしいことが分かった。いつかあの優しいところに。そう思って、中途半端をさまよって、諦めきれない。
この道を進み続けたなら、きっと、たどり着けるところもあるのだ。と、信じたい。そうでなければならない、と。