幸せを掴みにゆくと言うけれど

未来への、純粋な希望が抱けないことへの、後悔と言うのだろうか。
全ての子どもが、希望に満ちた未来を思いはせるわけじゃないだろうけど。そういうのを、無邪気に信じられる純粋性を、持ち合わせていたら、精神的に少し、よくなると思うのだ。
思い返せば、未来のことなんて、あまり想像しなかった。目の前にあることだけを見つめていて、希望を抱くこともなかった気がする。だから、これは羨望なのだ。
あの時、将来はなにをしたいとか、十年後の自分が、どんな生活をしているだとか、想像していれば。結果が変わるとは言わない。きっと私は私の、どうしようもない怠惰性でもって、今の道をゆくのだろう。でも、ちょっとは。精神的に、少しは、違っていたかもしれない。

幸せを掴みにゆくと言うけれど。掴みにゆくほどの情熱のない私は、幸せを待つしかない。待っていても幸福は訪れないと言うけれど、ほんとうに、変わらない平穏な日々の中で、ふとしたときに、私の家へ、来ないものだろうか。
私は彼らの逆の道をゆく。彼らの知らない道をゆく。彼らが想像できない道を歩んで、果てにはきっと、ほんとうの美があることを願う。

いいなと思ったら応援しよう!