『雁の童子』(宮沢賢治)
その時童子はふと水の流れる音を聞かれました。そしてしばらく考えてから、
(お父さん、水は夜でも流れるのですか。)とお尋ねです。須利耶さまは沙漠の向うから昇って来た大きな青い星を眺めながらお答えなされます。
(水は夜でも流れるよ。水は夜でも昼でも、平らな所でさえなかったら、いつまでもいつまでも流れるのだ。) -本文より-
ちくま文庫の『宮沢賢治全集6』の解説では、「原稿用紙に赤いインクで”西域異聞三部作中に属せしむべきか”と書」かれていたとあります。西域もの(西遊記のようなカテゴリに含まれるようなもの)を、しかも三部作で賢治が創作していたというのは、少し意外な気がします。舞台は流沙(るさ/中国タクラマカン砂漠のこと)や紗車(さしゃ/シルクロード都市ヤルカンドの古名)、登場人物の名前は須利耶圭(すりやけい)であるなど、世界が一気に大陸へ広がっていきます。作者名を隠したら、物語から賢治を想像できる人は少ないと思います。
上の引用で、お父様と呼ばれている須利耶圭に”水”について質問しているのが主人公の「雁の童子(かりのどうじ)」です。ある日人間が雁の群れを鉄砲で撃ち落とした時、弾丸が胸を貫いた雁達は人の姿に変わり天へ帰っていきましたが、生き残った小さな雁だけは地上に残り子供の姿に変わりました。それが、この本のタイトルでもある「雁の童子」です。口数は多くないけれども、思慮深い子供です。
この「雁の童子」が見せてくれるいくつかの不思議な逸話が、劇中劇のように物語のなかで展開されていきます。賢治の童話といえば、登場人物達が異世界へ潜り込み不思議な体験をした後にまた元の世界へ帰ってくるという形式のお話が多いのですが、今回は読者のわたしたちがこの異世界へ連れていかれた気分になり、本を読み終えてパタンと閉じた時、ようやく元の世界へ帰ってきたような、あるいは意識の一部が異世界へ行ったままのような、不思議な心持ちがしてきます。
大きな地震があったり、大きな事故があったりと、2024年は決して平和でない始まりをしました。子供の頃、大きな災害というのは非日常として捉えていたように思いますが、近頃はだんだんその距離が近くなってきたように思います。異世界と、現実との境が曖昧になってきたような。
そんなことを頭の片隅に置きつつ、2月は『雁の童子』を朗読してみたいと思います。ぜひご参加ください。