『鹿踊りのはじまり』(宮沢賢治)
*2021年11月朗読教室テキスト①ビギナー
*著者 宮沢賢治
嘉十はほんたうにじぶんの耳を疑ひました。それは鹿のことばがきこえてきたからです。
「ぢゃ、おれ行つて見で来べが。」
「うんにゃ、危ないじや。も少し見でべ。」
こんなことばもきこえました。
「何時だがの狐みだいに口発破(くちはっぱ)などさ罹ってあ、つまらないもな、高で栃の団子などでよ。」
「そだそだ、全ぐだ。」
こんなことばも聞きました。
「生ぎものだがも知れないじゃい。」
「うん。生ぎものらしどごもあるな。」
こんなことばも聞えました。
主人公の嘉十(かじゅう)が山の中で、栃の実でつくられた団子をお腹いっぱい食べた後、残りを「こいづば鹿さ呉(け)でやべか。それ、鹿、来て喰(け)」と残して山を降りて行きます。途中で手拭いを忘れて慌てて引き返したところ、嘉十の残した団子と、そばに落ちた奇妙な白い長いやつ(手拭いのこと)を囲んで5、6疋の鹿があーでもない、こーでもないと議論しています。どうやら、生まれて初めて目にする「手拭い」(汗臭い匂いがして、生き物であることは間違いないと鹿たちに判断されています)を警戒しているようです。
ある鹿はこわごわ、別の鹿はおどけて他の鹿を怯えさせ、おしまいの一疋はなんと手拭いをくわえて戻ってきました・・・・
宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』は、このようにして一本の手拭いをきっかけに鹿の踊りがはじまります。その物語のあちこちには、夕陽が赤く斜めに降り注いだり、すすきがみんな白い火のようにゆれて光ったりする場面も見られます。
宮沢賢治の物語を半年継続して朗読して来て思うのは、どの物語にもみんな細部に自然の風景があり、生き物たちの気配があり、登場人物たちの、生まれた土地の言葉が混じったおしゃべりが当然のこととしてそこにあるのに、そうした一切のことを、都会に住む私自身は日常に触れずに過ごしているということです。
朗読をするということは、それらの物語を発することを通して、実は本当に人間が欲しているものに触れるということを、自分が無意識に選択しているように思えます。
ビギナーコース11月は、鹿たちの方言がとっても楽しい『鹿踊りのはじまり』です。方言は、最初はわけもわからないかもしれませんが、でもどこかでカチッとスイッチが入って、いい加減でも上手く言えなくても、なんだか声に出すことがより面白くてしょうがない、という風になったらいいな、と思っています。
11月のオンラインレッスンスケジュール *終了
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*底本 『宮沢賢治全集8』株式会社筑摩書房
1986年1月28日第1刷発行/2015年2月10日第31刷発行
*文中の太字は本文より抜粋