『かしわばやしの夜』(宮沢賢治)
そのときはもう、銅(あかがね)づくりのお日さまが、南の山裾の群青いろをしたとこに落ちて、野はらはへんにさびしくなり、白樺の幹などもなにか粉を噴いているようでした。
いきなり、向うの柏ばやしの方から、まるで調子はずれの途方もない変な声で、
「欝金しゃっぽのカンカラカンのカアン。」とどなるのがきこえました。清作はびっくりして顔いろを変え、鍬をなげすてて、足音をたてないように、そっとそっちへ走って行きました。(本文より)
うっかりしていました。この『かしわばやしの夜』のお話はとうにレッスンした気がしていたのですが、実はお話を読んだこともないことに気づきました。それでも「かしわばやし」という言葉にじゅうぶん馴染みがあるのは、童話集『注文の多い料理店』序文に、「ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり」とあるのを何度も声にしたことや、詩や童話の中に出てくる「柏」を何度も通過していたからだと気づきました。賢治作品の中で「かしわ」の木は、そこかしこに存在しているもののようです。けれども・・・・。
このノートを書くために、木曜に読んで、金曜の夜に読んで、土曜の朝に読んでみました。どれも「途中までしか読めてなかった」と思ってまたページをめくってみたのですが、最後までくると「あれ?昨日最後まで読んでいるわ」となりました。上述した「レッスンしたつもり」と真逆の現象ですが、どうも『かしわばやしの夜』は、私の手から逃げたがっているような気がします。読んで忘れた、そのことの言い訳でしかないのですが、でもほんとうに読んだそばからするりと内容が逃げていく。試しに「かしわばやしの夜 あらすじ」で検索してみたところ、どのあらすじもふわっとしていて、私と同じように掴めないでいるのではないかしらと思いました。
そういうときこそ、「声に出して読む」「誰かと一緒に読む」が活きてくるように思います。情景が脳裏でしっかり映像になっていく「やまなし」のようなお話もあれば、景色が流れていく「かしわばやしの夜」のようなお話もある。常に新しく、さまざまな物語を試みていたのだなと思います。
10月の賢治コースは、『かしわばやしの夜』ですhttp://utukusiki.com/202410_online/
前半部分をテキストにしておりますが、ご希望により後半もご用意します。後半はまるでラップバトルのよう。口にするのが気持ちよいですよ。
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