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『詩ノート』(宮沢賢治)
一〇〇四 今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです 一九二七、三、四、
今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです
ひるすぎてから
わたくしのうちのまはりを
巨きな重いあしおとが
幾度ともなく行きすぎました
わたくしはそのたびごとに
もう一年も返事を書かないあなたがたづねて来たのだと
じぶんでじぶんに教へたのです
そしてまったく
それはあなたの またわれわれの足音でした
なぜならそれは
いっぱい積んだ梢の雪が
地面の雪に落ちるのでしたから
雪ふれば昨日のひるのわるひのき
菩薩すがたにすくと立つかな (本文より)
宮沢賢治で詩といえば、生前に出版した『春と修羅』が有名で、第一集から第三集まで、原稿用紙に書かれた千を超えるほど膨大な作品群です。でも今回取り上げるのはそれとは別に『詩ノート』と呼ばれる、ノート用紙に記された一連の詩稿です。先の原稿用紙より少し前に書かれていて、この中からいくつか作品を選んで原稿用紙を成立させたのだとか。いわば、思考過程のようなものです。
今朝、この詩を眺めた後に運河沿いを散歩していると、繋がれたボートが波に揺れ、船のドックの岸壁にぱちゃん、ぱちゃんと水が跳ね返る音がしていることに気づきました。これまで幾度となく歩いたその運河沿いで、水音に気づいたことはなかったのですが、昨日の大荒れの天気により水の量が(そして水音が)増したのかもしれませんが、思いがけず大きな音が気に留まり、ふわりとこの詩が思い出されました。
賢治の文章を読んでいると、現代小説の整った文章とはかけ離れていて、「てにをは」も句読点も自由気まま、息継ぎがしづらい、なんともでこぼこな文章です。けれどもそれがいつの間にかクセのようになっていて、最近では整った文章を物足りなく感じるようにもなりました。そのでこぼこな文章が、こうした感覚の開きそのままを表しているようにも思えて、何より賢治が「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、 虹や月あかりからもらってきたのです。」と言ったように、彼らが語ったそのままを書いたようにより思えてくるようになりました。
今回は、賢治がノートに綴った詩を数篇朗読します。わたしが水音にハッとしたように、誰かの日常に小さな感覚の開きが生まれることを願ってやみません。
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