『オツベルと象』(宮沢賢治)
「済まないが税金がまたあがる。今日は少うし森から、たきぎを運んでくれ」オツベルは房のついた赤い帽子をかぶり、両手をかくしにつっ込んで、次の日象にそう言った。
「ああ、ぼくたきぎを持って来よう。いい天気だねえ。ぼくはぜんたい森へ行くのは大すきなんだ」象はわらってこう言った。
オツベルは少しぎょっとして、パイプを手からあぶなく落としそうにしたがもうあのときは、象がいかにも愉快なふうで、ゆっくりあるきだしたので、また安心してパイプをくわえ、小さな咳を一つして、百姓どもの仕事の方を見に行った。
ある日、地主のオツベルのところに大きな白い象がやってきます。オツベルは象をうまく騙して自分の所有物にし、過酷な労働を課していきます。そうとは気づかず、初めはみんなの役に立つこと、労働そのものも楽しんでいた白象ですが、気づかないうちに毎日少しづつ食べ物を減らされて弱っていきます。いかにも愉快なように働いていた象は、気づけば痩せ細り、月に向かってつぶやきます。
「苦しいです。もう、さようなら」ーーー
上記で抜粋した部分を読むと、嫌な、生暖かいものを胃に感じます。一見仲間を助ける物語のようにも思えますが、読み進めると「オツベル」が困っている風を装って象を利用していることがわかり、象のやさしい気持ちやわらった顔を思い浮かべると、ぎゅうと苦しくなります。『オツベルと象』という作品はずっと気になりつつも、朗読テキストに挙げるのを躊躇っていた作品です。
人間も、職場でオーバーワークが過ぎるとき、受験などで過酷な勉強を強いられている時、それが自分以外の何かしらの意図で動かされていると感じた場合に、自分の心と何か折り合いをつけようとします。象がわらって「ぼくは森へ行くのが好きなんだ」と言ったとき、どこかで無理をしていること、象自身が自分をごまかそうとしていることがわかります。
この物語が救いなのは、全てを見ていた月が手を差し伸べてくれて、象の仲間によって助けられます。別の童話『猫の事務所』では、攻撃した方もされた方も自分の居場所を失うという結末になりましたが、今回は少しホッとする解決方法を賢治が描いてくれました。オツベルが死んでしまったので、象は最後に寂しく笑いましたが、それがどっちへ揺れたのかがわかるような、わからないような、曖昧さが残ります。象の中に、オツベルへのいつくしみや申し訳ない気持ち、そしてそこでも何か光を見つけようとしている様子も感じました。
7月の賢治コースは『オツベルと象』です。
外からの要因ではなく、自分の心の動かしかたについて、この作品を通して眺めてみる機会にしていただけたらと思います。