『花物語』(寺田寅彦 著)
*2021年5月朗読教室テキスト② アドバンスコース
*著者 寺田寅彦
高校生の頃は現代文が好きでした。評論、随筆、小説、新旧様々な作家の文章のいいとこどりをした「短い読書」のような時間は、受験勉強の息抜きのようにも思えました。中でも寺田寅彦の文章は頭にスッと入りこみ、容易に映像へ変わっていきます。一つの章を読み終わる頃には、言葉の短編映画なるものができあがっています。わかる、理解することにストレスがなく、確実に身になっているのです。
物理学者で、俳人で、夏目漱石を師とした人物。先頃の「100分で名著」(NHK2021年3月)で紹介されていた『天災と日本人』(寺田寅彦著)では、戦後すぐに書かれたこの文章にここ数年の天災と類似した自然災禍が挙げてあり、「悪い年廻りはむしろいつかは廻って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて良い年廻りの間に十分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なことである」と諭していました。未来をまっすぐに言い当てた重みのある言葉に興味が湧き、人物像を調べようと高知県立文学館で寺田寅彦図録を取り寄せました。そこで「もう一つの花物語」と称して、寺田が描いていた花の絵と同時に、少年期の思い出をモチーフにした短編「花物語」があることを紹介していたのが、今回のアドバンスコースのテキストです。
そのころある夜自分は妙な夢を見た。ちょうど運動場のようで、もっと広い草原の中をおぼろな月光を浴びて現ともなくさまようていた。淡い夜霧が草の葉松におりて四方は薄衣に包まれたようである。どこともなく草花のような香りがするが何のにおいとも知れぬ。足もとから四方にかけて一面に月見草の花が咲き連なっている。自分と並んで一人若い女が歩いているが、世の人と思われぬ青白い顔の輪郭に月の光を受けて黙って歩いている。薄鼠色の着物の長くひいた裾にはやはり月見草が美しく染め出されていた。
(「花物語」二 月見草 寺田寅彦)
夢に出てきた着物の女性、青白い顔の輪郭は瓜実顔でしょうか。自然と「夢十夜」が思い起こされます。寺田寅彦は熊本の高校で夏目漱石から英語を教わり、以来俳句を学んだり長い付き合いが続いていきます。「夏目漱石先生の追憶」では臨終に間に合わなかった心境も綴っています。それを読むと、恩師が誰であるか、誰の師となりうるかはその人の生き方にとってとても大きなことだと愛情あふれる文章から伝わってきました。
90分のアドバンスコースでは、寺田寅彦の人生を辿りながら、「夏目漱石先生の追憶」や油絵、日本画なども時間の許す限りご紹介できたらと思います。本の装丁などもされていたようで、「僕は装丁が楽しみだから本を出す」と、笑いながら言われたというチャーミングなお人柄にも近づけたらよいなと思います。
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*底本 『寺田寅彦随筆集 第1巻(全5冊)』株式会社岩波書店
1947年2月5日 第1刷発行/2020年12月15日 第108刷発行
*文中の太字は本文より抜粋
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