自分の至福を追求せよ!!
世界中の神話を研究した神話学者のジョーセフキャンベルは「自分の至福を追求せよ(follow your bliss)」と言っていた。
また、心理学者カール・ロジャ-スの弟子で、NVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)を体系づけたマーシャル・B・ローゼンバーグは、「楽しくないことはしてはいけない!(Don't do anything that isn't play)」と言っている。
そして、アカシックレコードの世界的権威であり、神秘主義者で、私の教師でもあるゲリーボーネルは、「葛藤ではなく、歓びを生きろ」と言っている。
この三者がほぼ同じことを、別の言葉で言っていることに驚かされる。
私はキャンベルからもずいぶん影響を受けているし、NVCも学んだが、この三者の言葉が体感として腑に落ちたのは、けっこう最近だ。
ここ5年くらい?
それまでは、
人生や生きるということは、何か問題があってその問題を解決するものだと思っていた。
楽しむことは、なまけているかのような、サボっているかのような、そんな感覚を持っていた。
人生や生きるということは、問題を乗り越えて、チャレンジして、自分を成長させるものに違いないと。
しかし、
この三者は
そうじゃないと言っているんだな。
人生は困難を乗り越えて、努力して、目標に向かって自分を成長させるものというこの考え方は、いったい誰に刷り込まれたものなのだろうと、いま私は考えている。
この考え方は、今の自分はダメだから、もっとよくならなければならないという考え方だ。
この考え方は、いったい誰に刷り込まれたのだろう。
社会全体がこういう考え方をしているのであれば、そりゃー生きにくいに決まってる。
ウツにもなるし、死にたくもなるかもしれない。
人と比較し、自分にダメ出しをし、もっともっとと自分を追い立て、だけど、どこにもたどり着けない。
自分には、生きる価値があるのか、自分に居場所はあるのかと、常に疑うようになるだろう。
私がお話会をやっていても、こういう勘違いをしている人が多いと、痛感している。
魂を磨くために転生してるとか、なんとか。
ほんと、誤ったスピリチュアルの弊害は多いなと、そういう言葉を聞くたびに痛感する。
こんなひどい目にあうのはカルマだからじゃないか、とかね。
しゃらくせーっ、つーの。
そういう方々に私はこう答えている。
私たちはすでに神で完全で、転生するとしたら、それはいろいろ体験したいから、それだけだと。
ディズニーランドに行ったら、いろんなアトラクションをなるべく多くまわりたいと思うでしょ、私たちも地球ディズニーランドをそうやって楽しんでると。
私も神で、目の前にいるすべての人が神だと思って、神が遊んでいるだけだと思って世界を見てください、すべてが違って見えるからと。
私たちは誰もが
不完全という完全を生きている。
こういう視点が真実であろうがなかろうが、ファンタジーであろうがなんでもいい。
そういう視点を持つことで、生きるのがラクに楽しくなり、世界が豊かになるなら、それでいいと私は思っている。
正解探しはもう、やめようよ。
正解なんて、そもそもどこにもないんだから。
上記の三者の言葉は、
今の世界を支配している自己否定的な閉じた世界感の外側へと、私たちを急にワープさせてくれる力を持っている。
外の広大な世界へと、私たちを連れていってくれる。
この言葉を生き始めると、この世界がなんて美しく自由だったかを思い出す。
私たちは、自分で自分を牢獄に閉じ込めていただけだと。
だからもう
自分の至福を追求せよ!!
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