男子大学生の話(ショートストーリー)
「さっきはごめん」
僕が読みかけの本を開くと、挟んでいたしおりに、そう書いてあった。美咲の書き慣れた綺麗な文字だった。その文字が目に入るやいなや、僕は本を閉じて、部屋を飛び出していた。些細なことで、なんとなく気まずくなっていた。しかし、そんなことは、一瞬にして吹き飛んでいた。
常日頃、言葉の足りない僕を、美咲はいつも許してくれた。今回もそうだ。つい、男のプライドってやつが頭をもたげてくる。さっきは、プライドというより、みっともない男のやきもちだった。
「なんて情けないんだ。」
僕は自分の不甲斐なさに腹が立っていた。
僕と美咲は、大学のサークルで知り合って、初めはただの先輩後輩だった。なんとなく想いは寄せていたものの、僕は、成り行き任せにしていた。ちょっと前から、煮え切らない僕の態度に業を煮やした周りの男連中が、口出ししてくるようになっていた。そんなところへ美咲がやってきて、雰囲気を察したのか…
「私たち、付き合っちゃう?」
と軽い口調で言ったので、調子に乗った周りの男連中から、付き合うことにされてしまった。それが僕たちの馴れ初めだった。
数時間前の出来事だった。美咲を含めた男女数人で、話が盛り上がっているところへ僕は合流した。美咲は、なにかを興奮気味に話している最中だった。同じサークルの田中という男が、駅で切符の買い方が分からなくて、うろうろしていたお婆さんに、みんなが無視している中で、自ら進んで話しかけて、親切にしてあげていたというのだ。それを、美咲は偶然目撃していたらしく、田中のことを、美咲が何度も、「偉い」とか「すごい」とかを連発していた。それを聞いて、僕は、なんとも言えない嫌な気分になっていた。僕が来たことにも気付かず、話に夢中になっていたからだ。
「一体、切符の買い方を教えたくらいで何が偉いんだ。」
美咲に他意が無いのは分かっていた。だが、感情が許さなかった。それを嫉妬だと認めたくない僕はイライラした。何も話さずに教室を出ようとした僕に、美咲はやっと気がついたのか、背後から声をかけてきた。しかし僕は、聞こえないふりをして教室を出てしまった。
勘の良い美咲は、僕の機嫌を損ねたことにすぐ気づいたに違いない。そんな時でも美咲は、いつも通り、冷静だ。そんなことを考えているうちに、僕は、だんだん気まずくなっていた。
ふと僕は、部室に読みかけの本を置き忘れていたことを思い出していた。そして、見つけたのが、その本に挟んでいたしおりだった。「さっきはごめん」と書いてあった…。美咲の書き慣れた綺麗な文字だった。
僕の行動は、美咲には手に取るようにわかってしまうのだ。僕は、ハッとした。僕は、大学の構内で、美咲がいそうなところをくまなく見て回った。電話やラインとかじゃなく、直接会って謝りたかった。これからも、言葉が足りなくて、君を傷つけることがあるかもしれない。僕は、君に甘えてばかりだ。大学の構内にいるかどうかもわからないのに、美咲を捜し回りながら、心の中では、謝り続けていた。
美咲は、カフェで女友達と談笑していた。息を切らしている僕を見つけると、僕の方に何事もなかったかのように近づいてきた。
「僕の方こそ、ごめん…。」
いつもの事ながら、ばつの悪い僕は、伏し目がちにそう言った。
「あっ、あれ見たんだ。」
美咲はケロッとしていた。
「あれ?今日はなんか素直だねぇ。どうしたの?」
美咲は、僕を冷静に観察しているようだった。
今度も僕の負けだ…。男女の付き合いは勝ち負けではないけれど、やっぱり僕は美咲には勝てないようだ。美咲の、誰に対しても寛容なところ…。それに僕は助けられていた。美咲が何故、こんな僕を選んでくれたのか…。今はまだちゃんと聞く勇気がないけれど、でも、僕を選んだことを後悔させないようにしたい。今はまだ、美咲の方がずっと大人のような感じだけど…。
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