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小説VS漫画 リレー作品:第4話 癌口(小説)

 元の世界に戻るためのヒントは気絶する前に見た「飛び降りる」というメールだけだ。しかしそれが罠ではないとは言い切れない。それでもそれしかないのだから縋るしかないだろう。

「この辺りに飛び降りることができる場所はありますか?」

 片腕を鎖で首に繋がれているこの紳士風の男、先程は気が動転していてそれだけの印象だった。けれど今こうしてある程度落ち着いて向かい合うとその異常性に目がいく。

 まずこの男の着ている服にはポケットがない。そんなちょっとした普通との違いに気付いた瞬間に言いようのない不安に駆られる。あからさまに目に見える拘束された左腕よりも、小さな矛盾が普通に見えてしまいそうになる方が怖い。だからなのか自然と言葉が敬語になってしまった。

 片腕の男は周りを見渡して小さく溜息を吐いた。そして呆れたように言葉を返した。

「後ろの地面を見てごらんよ。大きく開いた口があるだろう? 死んでもいいなら飛び込んでみなよ」

「死にたい訳じゃないんです。現実に戻りたいだけで……」

「ねえ、どうしてここが現実だって思えないのかな? 今君はここにいて目にしているものが本当で、現実だって思っていたものが夢だったんじゃないの?」

「そんなことあるはずないじゃないですか!」

「ふーん……でもさあ君、どうしてそんなに普通なの?」

「普通……?」

 片腕の男の質問が理解できなかった。こんな「異常」な場所で「普通」と言われた意味が……。

 困惑している私の様子を見て片腕の男は突然ケラケラと笑いだした。

「そうかそうか! 君はそんなことになっていたのか!」

「そんなこと?」

「いや、ごめんよ。普通って言ったのは取り消そう。君は誰よりも狂っている」

「待ってください! どういうことなのか説明を……」

「したら面白くないだろう? それにいつか気が付くだろうね。その時が楽しみだよ。君は君なりにこの世界を楽しんでいるようだ」

 片腕の男は拘束された左手を右手で叩いて拍手している。掌を叩きあうたびに鎖がガチャガチャと耳障りな音を出す。まるで新しい玩具を与えられた子供のようであった。

「あ、そうだ。僕は少し用事があるからここで失礼するけど、最後に一つだけアドバイスしてあげよう。誰かに会ってもあまり近づかない方がいいかもしれないね」

 そう言い残して片腕の男は後ろを振り返り歩き始めた。その瞬間、今この男がいなくなってしまえば一人ここに残されてしまうという事実に気が付く。

「待ってください!」

 引き留めようと声をあげて手を伸ばす。だがほんの一瞬、眩暈がして目を閉じてしまった。もう一度目を開いたその時には既に片腕の男は消えてしまっていた。

 今更そんな不自然な現象に驚きはしない。それよりも一人になってしまったことの恐怖が大きい。現実では人と距離をとっていたのに、今ではこんなに一人でいることが怖い。飛び降りられる場所を探すにしても当てがなさすぎる。

 結局この場から動けなくてしまった。片腕の男が言っていた「大きく開いた口」が目につく。ここに飛び込めば戻れるかもしれないなどと考えてしまうのだが、「死んでもいいなら」と言っていたのを思い出すと、足がすくんでしまう。

 試しに髪の毛を一本千切り、口の中に入れてみると、ピクリと一瞬痙攣した後に苦しそうに呻きだした。何かまずいことをしてしまったのか? と思った時にはもう遅く、口から突然噴き出した真っ赤な液体を体に浴びてしまった。

 目に激しい痛みが走り必死に擦るが、擦る手にも同じ液体がかかっているため痛みは増すばかりで、それを理解していながらも混乱している頭では止めることなどできない。

「うぁ……あああああ!」

 助けて欲しい。けれども誰もおらず、自分でどうにかするしかないのに、状況は悪化するばかり。だから自分では何もできない赤ん坊のように泣き叫ぶしかない。

 俺の叫び声に合わせて口が嗤う。ゲラゲラと下品な声が頭を犯していく。脳内で反射したそれは幾重にも重なり、複数の声になる。

 目を閉じて感じるこの世界は俺を嗤う声と血の匂い。ふと気付く。現実と何が違うのだろう? 誰かに嗤われ血を噛みしめて……。

 ――情けない。

 あれからどれほどの時間が経っただろうか。叫ぶ体力も泣く涙も枯れた。口の嗤い声も聞こえない。目を閉じた瞼の向こうは暗く、これが電気の消えた自分の部屋だったらと願ってしまう。けれども違うって事は嫌というほど知っている。地面の生暖かさが、鼻の裏に張り付いた脂が、まだ残る体の痛みがそれを自覚させる。

「ほらな……」

 目を開けて久しぶりに見た異世界に思わず独り言を漏らす。しかし変化はある。俺の気が触れたのか、それとも単に絶望して諦めてしまったのかは分からないが、見える世界に恐怖はそれほどなかった。むしろ恐怖しないことに恐怖を覚えるのだ。

 自分の手を見ると皮が剥けて血が滲んでいた。恐らく口から吐き出された液体を浴びた部分は同じように酷いことになっているだろう。けれども鏡すらないから確認もできやしない。幸い失明はしなかったが、それでもまだ視界はぼやけている。

 ……だからどうした。目が見えるからといってなんだ? まだ動けるからといってどうする? 元の世界に戻る方法を探すよりもこのまま死んだ方が楽なんじゃないか?

 自らに問いかけてみるが、返事はない。否定も肯定も嫌になった。否定すればここから動き出さなければならない。肯定すれば死ななければならない。答えられるはずもない。

 煙草が欲しい。唐突にそんな事を考えてしまった。これが現実逃避の始まりかもしれないと自嘲気味に軽く笑った。

 いや、自分の部屋に引きこもってネットのくだらない噂にのってしまった時点で、俺は現実逃避していたのだろうな。

 あぁ、本当にくだらない……。

 体から力が抜けていく。このまま倒れ込んでしまおうか。折角開いたこの目をもう一度閉じてしまおう。

 そう思った瞬間だった。

「ウワアアアァ!」

 悲鳴が遠くの方で聞こえた。びくりと身体を震わせ声のした方を向くが、薄暗くて何も見えない。悲鳴は一度だけではなく、何度も聞こえてきた。声は裏返ってしまっているが、男性のものであることが分かる。

 人間の声、そう人間の声だ。それを理解した時、自分の体に力がこもっていくのが分かった。疲れ切った身体を無理やり起こし、悲鳴に向かって走る。

 もしかしたら自分以外にもここに迷い込んでしまった人間がいるかもしれない。そう思うと不謹慎ではあるのだが、希望が湧いてくる。

「おーい!誰かいるのか!」

 声をかけてみるが悲鳴ばかりが返ってくる。きっとパニックになっているに違いない。

 ぼんやりとだが人影が見えた。暗闇の中で手足を振り回し叫び続けている。慎重に近づいて確認すると、それは確かに若い男の人間であった。

「あぁ、良かった。落ち着いてくれ」

 叫び続ける男性とは逆に、相手が人間であることに安心した俺は男性を落ち着かせようと声をかける。

「うああああ!」

「大丈夫だって、俺も人間だ!」

 暴れ続けられるのも危ないので男性の肩を掴み、軽く拘束して目を合わせる。

「いい加減落ち着いてくれよ」

「離せ!ここは何処だ!」

「ここは……俺だって分からない。あんたはどうやってここに来たんだ?」

「どうやっても何もここにあるエレベーターで……」

 そう言われて周りを見渡すがエレベーターなど見当たらない。

「どこ?」

「ない……今まで乗ってたんだ。確かにお前が来るまで俺はエレベーターの中に……」

「俺も同じだ。エレベーターに乗ってここに来たのに気付いたら消えてたんだ」

「そんな……」

「でも元の世界に戻る方法はあるみたいだ。それを一緒に探そう。不謹慎かもしれないけど、正直俺以外の人間に会えて少し嬉しいんだ」

 本当に嬉しい。あのまま死んでしまおうかと思っていたが、希望が芽生えた。一人じゃないというだけでまた立ち上がれる。元の世界にいた時の俺ではありえない事だ。この世界に来て俺は少し成長できたのかもしれない。

 右も左も分からない世界で男二人の冒険。まるでゲームのようで、心がはずんでしまう。久々に感じる楽しいという感情。

「さあ、行こう」

 俺は右手を男に差し出した。

 ……僅かな無言、男は差し出された俺の右手に触れることなく震えながら後退した。

「お前……」

「え?」

「何で……笑ってるんだ!」

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