小説VS漫画 リレー作品:第6話 癌口(小説)
俺には笑っていたという女の人がどうなったのかは分からない。ただ、お前「も」人じゃないんだという男の叫びが頭から離れなかった。俺は今、自分の事を人だと言えるだろうか?
人を殺した。初めてだった。それなのに俺は感動を覚えている。今自分が生きている奇跡に感動している。悲しみも焦りも後悔も存在しない。
簡単だった。足元に落ちていた骨で人は死ぬ。そんな脆い生物だったのだ。殺される側と殺す側の違いはなんだ?この世界で生きている俺は一体何者だ?本当に人だっただろうか?
男の血が服の中に入り込んでヌルヌルして気持ちが悪い。それと同時に暖かくて気持ちが良かった。このまま眠ってしまえる程に。
気付けば穏やかに笑っている自分がいた。口角が下がらない――――心地よい。
崩れ落ちるように座り込むと、血が飛び散った。男の流した血が水たまりのように溜まっていた。まだあたたかい。このまま仰向けに転がったなら気持ちが良いだろうなと考えている。いっそ転がってしまおうか。今なら誰も見ていないのだから。
きっと興奮していて今は疲れているんだ。そうに違いない。正常な判断はできない。俺はおかしくはない。ただ休むだけだ。
そんな「言い訳」を頭の中で繰り返して、仰向けになって目を閉じた。
ペチャペチャ……。
ペチャペチャ……。
頬を……顔を……身体を……舐められている。少しざらついていて、表面をこするように舌が動いている。
そんな感触によって目が覚めた。身体をピクリと動かすと、周りにいた「何か」は驚いたように甲高い奇声を発して散っていった。少しだけ見えた後ろ姿は人間ではなかった。
手や腕を見ると、こびりついていた血が消えていた。服に染みこんだ血液まで綺麗に吸い取られている。見えないが顔に付いていた血も恐らくなめとられているだろう。気持ちは悪いが、寝起きに乾いた血がパきパきと鳴る音を聞くよりは良いかもしれぬ。いや、どっちもどっちか。
俺は自分の変化に気付いていた。普通ならこんな目覚めは最悪なもので、キャアーなどと女のように叫んでしまってもおかしくはないのだ。けれども俺はこの目覚めに恐怖を感じていない。まあこの世界ならこんなものかと受け入れつつあるのだ。
これは良い事なのか……今俺は本当に元の世界に帰りたいのか。よく分からなくなっていた。何故なら俺はこの世界が少しだけ…………。
いや、これ以上考えるのはよそう。元の世界に戻らなければ。そのことだけ考えていよう。
立ち上がろうとして自分の右手に骨が握られたままであることに気付いた。「そういえば」人を殺したのだった。ひと眠りして忘れていた。その程度の出来事になっていることに違和感を感じる。違和感といっても、それが良くないことだと知っているのに、どうでもよいと思っている自分に対してだった。
元の世界に戻ってもこの異常な感覚が治らなかったら……そう考えてようやく怖くなった。まだ俺は辛うじて正常らしかった。
血を吸われて干乾びた男の死体を尻目に俺は何処へともなく歩き始めた。ここには目印といえるようなものは一つもないのだ。止めどなく景色はよりおぞましく変化しているようにも見える。つまりは目的地はあれど、それが何処にあるのかは分からないのだ。さらに言えば自分が何処にいるのかも分からないのだった。
携帯を開いて新しいメールを待ってみたり、たまに周りを見渡して飛び降りられそうな場所を探してみる。相変わらずグロテスクな景色は変わらなかったが、時折毛むくじゃらの丸いボールのような生き物が見えた。こちらに危害を加えてくるようなことはなかったが、鋭い牙の生えた大きな口から真っ赤な長い舌をベロリとたらしてこちらをじっと見つめてくることがあった。と言っても、そいつらに目はなかった。ただ、見られていると感じた。
俺はそのたびに警戒し、歩みを止めてそいつらから目を逸らさぬようにしていた。するとそいつらは体を左右にぷるぷると震わせて、ぽんぽんと跳ねながら逃げていった。
ハゲワシのように俺が弱るのを待って、隙あらば襲い掛かるつもりなのかもしれない。そう考えると気を抜く暇はなかった。
どれくらい歩いただろうか。ふと遠くに光が見えた。それが近寄っていくと、炎であることに気付いた。焚火だ。
傍には人影、炎に照らされて鎖が怪しく輝いてる。あいつだ――。
「やあ、久しぶりだね。まあ僕の感覚だから君からしたらさっきぶりかもしれない。何にせよまた会ったね。いや、会いに来たかな」
「ここは……どこですか?」
「僕には分からないよ。君が立っている場所と、僕が立った場所は違うもの。それよりもね、しばらく僕も一緒に行動していいかな? 独りだと寂しいでしょ? ね?」
前に会った時はあっさりいなくなったというのに、今は興奮気味に詰め寄ってくるこの男が不思議だった。一緒に行動したい理由が分からない。
「会いにきたっていうのはそのことですか?」
「それもあるけれどね、聞きたいこともあってさ」
「……なんですか?」
男はふふんと鼻で笑い、まるで誕生日を祝う友人のように言葉をためて、マスク越しに見える口角をぐいっとあげながら言った。
――――君は脳味噌を何処に落として来たんだい?
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