12話

小説VS漫画 リレー作品:第12話 癌口(小説)

 瞬間、身体が浮いた。と、感じた時にはひっぱられるかのように、底の見えない闇の中へ吸い込まれた。
「……ッ」
 悲鳴をあげようにも声がでない。遠くからクサリの声がしたが、聞き取る間もなく落ちていく。上も下も分からぬ中、タイヘイと名乗った男とチェーンソーが先に落ちていくのが見えた。
 頭から落ちては死ぬ。頭の中でそれだけを考え、身体を丸めながら両手を後頭部に持っていく。
 ――ドプンッ、ドポンッ
 粘着性の強い水音が二つ聞こえたと認識できた瞬間、右側頭部から地面……ではなく水の中に落ちた。
 助かったという安堵感を感じる暇もなく、鼻の奥に水が入り込み鉄の臭いが脳を満たす。丸めた体を解放して、手足をがむしゃらに暴れさせた。
 ――誰か……。
 手がバシバシと何かを叩くのを感じて、それを掴もうともがく。すると、ぎゅっとあたたかい何かに手を掴まれ、強制的に立たされた。
「大丈夫ソーイチ?」
 手の先を見ると、薄暗闇の中血まみれのタイヘイが懐中電灯をもう片方の手に握って、にこにこと人懐っこそうな笑顔を浮かべて立っていた。安堵感と襲われた時の恐怖が入りまじって身体が硬直してしまう。
「怪我とかない? ほらそんなに深くないから大丈夫だよ?」
 俺の気持ちを知ってか知らずか、タイヘイは笑顔を崩さないまま身体をペタペタと触りながら安否を気遣っている。
 足元を見ると水だと思っていた液体は血だまりのようで、ぬちゃぬちゃと汚らしい音をたてていた。水位はタイヘイが言った通りそこまで深くないようで、足が沈みこんでも股下で止まっている。
 これには慣れたもので今更血だまりに濡れたところで感じる事はなかった。むしろ冷静になったおかげでようやくタイヘイから距離を取る事ができた。
「ん?」
 俺の行動に対してタイヘイは「どうしたの?」とでも言いたげな顔で首をかしげている。パッと見ただけでは悪意など感じない人物に見える。タイヘイの両手には例のチェーンソーは見当たらないが、だからといって近づく気にはなれなかった。
「どうして離れるの~?」
 血にまみれた姿で妙に明るい笑顔で近づいてくる姿は、昔見たホラー洋画のサイコパスに似ていた。本来はこの状況に悲鳴でもあげて逃げるのだろうが、タイヘイという人物は不思議と知らない間に距離を縮めてくる。距離的な話ではなく、間柄の話だ。何故か気を許してしまいそうになるのだ。
 だからこそ俺は、
「お前は何なんだ!」
 叫びこそすれ、逃げるのではなく会話を選んでしまった。
「タイヘイだよ?」
 惚けたようにニコっとタイヘイは笑う。
「そうじゃなくて! 何で俺達を襲った!」
「え? だって楽しいでしょ? でもほら見てよこれ!」
 そう言ってタイヘイは背中に手を回すとチェーンソーを取り出し、スターターロープを勢いよく引張りエンジンをかけた。ギュルギュルと嫌な音がエンジンから響く。
 先程の出来事が思い浮かび、声を上げる事も出来ず後ずさる。だがそれに気付いたタイヘイはジャバジャバと血だまりをかきわけて突っ込んできた。
 そのままタイヘイはチェーンソーを振り上げて、俺の首めがけて斜めに斬り落としにかかる。咄嗟に両手で首を塞ぐが、チェーンソー相手に意味がないことを悟ってグっと目を閉じる。
 しかし腕に刃が軽く触れただけで、それ以上押し付けてくることはなかった。
「はははは、冗談だよ! 血が中に入っちゃってエンジンかからないんだ」
 底抜けに明るい笑い声にびくりと身体を震わせながらもそっと目を開けると、腕に触れた刃は回転が止まっていて、エンジンの音も聞こえなくなっていた。
「な、なんで……」
 絞り出た言葉は震えていた。何で殺さないのか、何でわざわざこんなことをしたのか、何で笑っているのか。何でが多すぎてその続きを言うには混乱しすぎていた。
「なんでって、コレで殺すのが楽しいのに動かないから殺せないんだよ。それにしてもソーイチの怯えた顔って面白いね」
「で、でも殺そうと思えば殺せたんじゃ……」
 自分でも何を言っているのか分からない。やろうと思えば殴打でも殺せるじゃんと聞いているのだ。それでももしかしたら殺せない理由が他にあるのではないかという希望があった。
「んー……削り斬る感触が楽しいんだよね。楽しくないのに殺すなんてもったいないじゃん!」
 タイヘイの言葉に眩暈がした。こいつはイカれている。きっと今すぐにでもエンジンがかかれば俺を殺すだろう。理解の範疇の超えた事を理なく認識させる恐ろしさがあった。
「さて、それじゃあ一緒に行こうよ!」
 ぼんやりとする頭にタイヘイの楽しそうな声が響いた。

 ――――――

 ソウイチが落ちてしまった。
「ソウイチ!」
 咄嗟に叫んで左手を伸ばしたけど、虚しく空をきるだけだった。タイヘイという男に斬られた傷がジクジクと痛み、雫になったボクの血がソウイチの後を追うように落ちていく。
「ソウイチ……」
 意味はないと分かっていても、呼ばずにはいられなかった。
 こうしている間にもソウイチは地面に落ちて死んでしまったかもしれない。でも、もしかしたら飛び降りる事によってあのタイヘイという男と一緒に元の世界へ戻れたかもしれない。
  それはあまりに楽観的すぎる。
 仮に生きていたとしもタイヘイと一緒にいるのは危ない。あの男に会った時、すぐに殺すべきであったと後悔してもしたりなかった。
 すぐにでも探しにいかなきゃと思うが、この下はボクも知らない場所だ。飛び降りて探しに行くとしても、ボクが無事である保証はない。そうなると下に続く道を探すべきなんだろうけど、時間がかかってしまう。もどかしくて気が狂いそうになる。
 だが動かなければ事は解決しない。今は生きている事を信じて助けに向かう。
 奥歯を噛みしめながら立ち上がり骨を蹴飛ばして走る。ボクも落ちてしまうのではないかという程に荒く、地を蹴飛ばして。実際、落ちてしまってもいいと思っている。そんな自分の感情に驚いていた。
 ソウイチと一緒に行動するまでボクは不安に耐えていた。それを忘れるかのようにたまに出会う人を観察したりちょっかいを出して生きてきた。でも結局は全て恐怖から逃げるためだった。
 自分が自分でなくなる恐怖、自分にそんな恐怖を与えたあいつらと同じになってしまう恐怖、死ぬに死ねない自分の臆病から逃げる恐怖。
 ソウイチに話しかけて助けたのも気まぐれ以外の何でもなかった。ただ少しだけ変わった人だと思った。彼は普通でないこの世界を普通にしようとしている。順応力が普通ではなかった。彼は帰りたいと言いながらも、この世界に馴染んできている。この先どんな決断をするのか楽しみだった。
 けれど今はどうだろう? 気まぐれでこんな気持ちになるだろうか? きっとならないだろう。偶然とはいえボクの恐怖を取り除いてくれたのはソウイチだ。そしてこの世界で新しく生まれたボクに名前をくれたのもソウイチだ。それに恩を感じているとかそういった事ではない。ソウイチに言えばきっと嫌がられるかもしれないけど、元の世界もこの世界もひっくるめてボクにできた初めての友達を助けたい。
 感情を整理してみると簡単な答えだった。ボクは友達を助けるために頑張ろう。

 ――――――

 目が霞んできた。瓦礫をどかそうにも身体に力が入らない。聞こえていた男の声はずっと前に遠ざかって行って聞こえなくなった。
 俺はこのまま意味もなく死んでしまうのだろうか? 考えるのも疲れてきた。もう時間もないみたいだ。
 諦めて目を閉じようとすると、生暖かい息を右頬に感じた。目だけ動かして右を見ると、デカい牙が目立つ口だけがついた毛むくじゃらのボールのような生き物がデロンと舌を出して俺を舐めはじめた。
 こんなのに食われて死んでしまうのか。
 と、再び目を閉じて覚悟を決めた。だがいつまでたってもぺろぺろと舐めるだけで噛まれるだとか飲み込まれるといった事はおきない。それどころかボールは集まってきたのか瓦礫の隙間から舌を伸ばして俺の身体全体を複数のボールが舐めはじめた。しかもどういう訳か痛みが消えていく。ついさっきまで死にそうだったのが嘘のように今は力を感じる。
「よしっ……!」
 気合を入れて身体を起こすと、徐々にではあるが瓦礫がズレはじめた。それに合わせるかのようにボール達はコロコロと離れていき、まるで俺を応援するかのようにポンポンと跳ねた。
 途中何度か休憩を挟むと、またボールが近寄ってきて身体を舐めはじめる。その度に疲れた身体が癒された。
 何度かそれを繰り返し、瓦礫の中から這い出す事に成功する。それを見た? 目がないので見えているかは分からないがボール達が激しくポンポン跳ねて喜んでいるようだった。
 改めて自分を見ると俺は裸だった。まわりに人はいないが何となく恥ずかしい気持ちになり股間を隠すと、一匹のボールが近づいてきた。見ると、口には服が咥えられていた。
「俺に?」
 ボールが答えられないだろうとは思ったが、何となく口に出すと、ボールは服を俺の足元に置いて期待するかのように飛び跳ねた。
 手にとって広げてみると、黒いVネックの長袖と、青いジーンズ革製のベルトまである。ただちょっと焦げている部分があったり、ボールが咥えていた部分は唾液で濡れていた。それと靴もない。だが着る物はこれしかないようだ。
 湿っていて着づらかったが、シャツに袖を通しジーンズをベルトで締めるとボール達が一斉に近寄ってきてもみくちゃに舐めまわされた。こいつらの言葉は分からないが、どうしてか感情だけは伝わってくる。喜んでくれているのだ。
「……ありがとうな」
 そう言うとボール達は犬のように体を擦りつけたり、より激しく俺を舐めまわし始めた。

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