孤独に歩む、林の中の象でありたいオタク
今日はいつもより早めの時間にひとつ書きたいと思う。
ここ最近毎日眠かったのに、なぜか今日は眠気が来ない。たっぷり二度寝してしまったからだろうか。朝に飲んだ薬の副作用っぽいものが何一つ出ていないのだ。
眠気が来れば素直に横になって昼寝することもできるだろうが、それが出来ないとなると見つめるのは現実ばかりだ。これは気が狂う。
今日はツイッターランドも朝から大荒れで、見ていて非常に気分が悪いので余計最悪だ。
生理前なのもあって、全てを悪い方向に認識してしまう。誰も私のことなんか見てない、とか、私への当てつけか、みたいな。自意識が暴走している。これは非常によろしくない。
突然だが。
映画「イノセンス」(攻殻機動隊の「GHOST IN THE SHELL」の続編)の中で、仏陀の言葉が引用される。
「(良き伴侶を得られない場合は、孤独を貫け)孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように 」
出典によって色々言い方はあるが、ざっくり言うと
「たとえ良きパートナーが得られなくとも、悪いことをせず、あまり多くを求めなければ、一人でもそれなりに幸せに生きられる」
というようなニュアンスの言葉と見て構わないだろう。
この言葉の場合は「伴侶が得られない場合」だが、別に伴侶じゃなくても、仲間やら同志やらに言い換えることは可能であるように思われる。
仲間がいなくても、同志がいなくても。悪いことせずに謙虚にしてりゃあ一人でもそれなりに幸せにやっていけるもんだよ、と。
こいつは、まさに今、私が最も咀嚼して飲み込んで養分にしたい言葉である。
ツイッターのTLが最近「どの界隈がどうこう〜」だの「オタク社会は〜」だの「感想を伝える伝えない云々〜」だのうるさくてたまらず、私個人としては「林の中で象のように歩みたい」ところではあるが、タイムラインの構築がうまく行っていたにも関わらず「林」どころか「渋谷の雑踏」並みのうるささになってしまっているので、ある種「林」のように歩める場所は今このnoteしか無くなっている状態だ。
みんな他人の評価だの界隈の空気を気にしすぎだ。
自分が好きだと思うものを一人追求していればそれでいいじゃないか。
そもそも「オタク」ってそういうものだろう。
オタクの本分を忘れてはいないか。
これは当然、自分に対しても突きつけているナイフである。
私も最近人の評価だの反応だのをやたらと気にするようになってしまっていて、これはいけないと思っているのだ。
誰からも反応が無いと「嫌われている」と思い込みそうになってしまう。
だからこその、前述した「私が最も咀嚼して飲み込んで養分にしたい言葉」である。
自分の状態がまずいと思っているからこそ、自問自答しているんだ。
しかし文句を言ったり自問自答ばかりしてもどうしようもないから、私はあくまでも「孤独に歩む林の中の象」であろうとする努力は欠かさないでいたい。
毎日3作品程度の140字SSを書いて、アップする習慣をつけている。たとえ反応が少なくとも。(※反応してくださる方もいらっしゃるので、その愛は全身でもって受け止めたい。そのことは記載しておく。いつもありがとうございます)
作品自体の絶対数を増やせば、どこかで人が作品を見てくれる可能性が上がる、という「数撃ちゃ当たる」戦法ではあるが……これはそれなりに有効であることも、私は知っている。
まるで世界大戦以前の戦列歩兵のようだな。まあ、私一人では世界大戦以降のような戦い方は出来ないので、それはしょうがない。
オタクとしての本分、オタクの本質を忘れずに、自分を見失わずに、自分の感情を素直に見つめ、悪いところは直す。
他人の評価、言葉は無くとも。
孤独に歩むことを恐れたくない。
ありがとうございます!生きる励みになります。