人との関わり(文通編)

自分だけではないと思うが、人と関わると不思議な事も起こる。


他人は勿論、友達であっても家族であっても、良い事も悪い事も、普通でも、そういえばあの時はああだったけど今思えば・・なんて事もあるのではないだろうか。


これは、「こういったらこう返されるのでは」「こう言っても届かなかったから諦めよう」「自分がやっても人が求めている事ではないし」とか、そんな考えが微塵もなかった自信に満ち溢れたワガママで正義感バリバリの小学2年生なりたて~中盤に戻った私の話である。

もしかしたら過去編で少し触れたかもしれない。


小学2年生後半に裏切りを目の前にして他人を信じなくなってしまうまでは、私は自分の意見や感情が間違っているとも思わず、喜怒哀楽は結構激しかった様に思う。表情もハッキリしていて嘘をつくのもてんで下手で、お世辞も言えなかったし分からなかった。

グループを作っていくクラスメートたちを面倒に思いながら、別に一緒にいる子はちらほらいたし、いわゆる面倒くさそうな女子でなければ誰とでも関係なく話した気がする。



そんな中、数か月だけ転校してきた女の子がいた。



か細そうな、身体もとても華奢で目の潤んだ女の子であったのを覚えている。



その時は多分、「初めまして」とか自己紹介だけして、特段日常で関わる事もなかった。私はいつも一緒に友達と2人でいたし、それが楽だったからだ。その子がいなければ別のクラスに遊びに行っていた。


先生もコロコロ変わる中、何となくガヤガヤするクラスをのんびり過ごしていたのであったが、何となく私には苦手な子がいた。普段あんまり関わりはないが、喋り方でいうとまる子ちゃんの玉ねぎ頭君の喋り方をちらっとする女の子であった。

別に人をぶったり、明らかに何かする子ではないのだが、何というか、普通にしゃべってるのにふとした時に悪口の様な事をその玉ネギ君みたいに喋る。何かこの子は素のまま接してくれてなさそうで、本音が違う気がした。



確信めいたのはふと階段の踊り場に行った時。



「調子のってんの?」



的な感じの後、多分荒い言葉を使って転校生を3人で追い詰めていたのだった。

れっきとしたアカン場面である。修羅場。



その時、自己肯定感のまだ高かった自分はすぐ様何も考えずに飛び出した。



「いじめはあかんで」



転校生の前に両手を広げて立ちはだかって言い切った自分は一体本当に私だろうか。ウッワ~~~これ何の漫画。


この頃は「廊下走ったあかんで」とか、指示された事は忠実に守る自分であったし、それを破る人に注意していた。さながら生徒会であるし、立候補可能な学年から毎年立候補していたのも事実である。ウッワ誰。


私が死ぬほど嫌いな舌打ちを多分この時されたのは何となく覚えている。



個人的に舌打ちって意図的に悪意や怒りを人や物に直接ぶつけるので、私はゲームで負けたとしても綺麗に音が鳴ればなるほど死ぬほど舌打ちが嫌いである。人に見せたりひけらかす感情が大嫌いなのである。と言えど、素直に怒りの感情が表出出来るのは羨ましかったりする。


自分の事はさておき、そのままにらみはされたが引いてくれたので顔を見たが、多分察するに脅したのは彼女だけであって、あとの2人取り巻きは本当は思ってない様に見えた。彼女らが教室に戻ると、背後から「ありがとう」と消えそうな声で言われた気がする。


ちぐはぐな記憶を集めるとこんな感じの話だが、この物言いの様に私にとっては思い出さなければ忘れる位の出来事であった。


しかし、彼女にとっては大きかったらしい。



それから、その頃転校生が多かった私にとって、新しい子には真っ先に話しかけにいった。多分「自分が教えてあげたい!」とか思う気持ちもあったと思うが、不安そうな顔を見るとつい声をかけたくなるのもあったし、騒がしかったり人を悪く言う変な子に絡まれて変になっていくのも嫌だなと思ったからだった。

上手いこと言ったかは分からないけど、その後転校生がいなくなって自分が他者を信じられなくなっても初対面の会話スキルは一応?伸びた気がしたし、一緒にいる友達も増えた。


ただ、変な輩からは絡まれやすくなったとは思う。今思い返せば多分言いやすい標的だったし、気づかない事も多いから好き放題しやすかったのだろう。とは言いつつ、にわかなワルからそうされる以上に普通に友達もいたし当時マジのワルっぽい子と普通に喋ったりしてたので、嫌な思いは時々したが作品破ってきた子以外に直接被害を受けた事はなかった。

後、その子たちが好きな男子が自分を好きだという事を後から知った。何だかしらんがざまあみろ。


今この自己肯定感が上がった自分は、おそらく彼女らに羨ましがられていたのでないかと都合よく思う事にしている。



さて、か細い彼女が顔も覚えぬまま再び転校していっても、いつ住所を教えたかは忘れたが毎年年賀状を送ってくれた。


成長する事にロクに返事を返さなくなってきていた私であったが、それでもメールアドレスを教えるとメールが来る頻度が多くなったし、彼女はいつも私を「友達」だと言って、「また会いたいね」と言って、「友達で良かった」と言った。それはシーズンに増え、絵やシールもついてきた。


社会人になってからは人間関係がしんどくてメールすら返さなくなった。彼女の連絡がとても重く感じる様になって、その頻度は増えて、何だか自分を頼りにされている気がした。頻度は減ったが、それでも、「連絡したくなって」と時々メールや手紙が来た。

私が新郎と付き合い始める前に、バレンタインチョコと、土産が届いた。律儀だなあ、なんて言いながら、ピーナッツが嫌いな為に食べる事は出来なかったが、何だか健気に思えてきた。

今の職場環境は、こんな健気な人いないだろう。この人は、自分に尽くす様に手紙書いて、プレゼント送って、返さないのが勿体ない。

この人は、もしかして自分を心の支えにしているんじゃないだろうか。



一時メールや手紙、プレゼントが多かった。「ずっと友達」「いてくれて嬉しい」「会いたい」いつも当然の様に並ぶ言葉は、彼女が今何等かでしんどくて、支えがいるんじゃないのか、と何となく思った。


それから、余裕がある時にはメールだけでも送る事にした。と言ってもほとんど返せずにはいたが、それから何か月か立ったある日、


「会おうかな」



ふと、思ったのだ。




彼女にメールすると、喜んでいるようだった。以前の自分では絶対に会おうとは思い立たなかったが、彼女も同じ気がした。

最近の手紙も、折角絵を描いてくれたのだから自分もハマっているアニメの絵を描くことにした。話が合う気がした。

そしてあろうことか彼女は私の好きな奈々様のファンクラブ会員だった。


話題を何個か浮かべた所で内心顔を覚えてなかったのでドキドキであったが、私の顔は幼稚園から変わってないらしいから向こうが覚えているかもしれない。


当日、コーデを見て欲しいと服を着た写真を送られた時はどうしようかと思ったが、職場で鍛え上げられた受け皿スキルで相手の納得いくメールはうてた様だった。


いよいよ、10数年ぶりの再会である。



と、結果を言えば小学校で実質一緒に過ごしたのは数か月なので話題がすこぶる少ないし、彼女のメールを読み取ってきた限り、多分仕事とかこれまでにがあまり深く触れない方がよさそうだ。話題性は乏しかったが、「会えた」という事実が大きな収穫であり、気はかなり遣ったが会えてよかったと思った。ドリンクバー制度ありがとう。マジで。


と、その数か月後に自分の出演するコンサートを見に来ないか誘ったり、少しだが直接会える方法を取った。大家族のお中元かってレベルの50個入りのお菓子をくれたりしてビビったけど、正直に嬉しかった。

演奏者であれば共感を得られると思うが本番後はコミュ力最強なのでありがたい。


何がともあれ、直接会えるのはやっぱり嬉しかったし、どんな理由であれ手紙を送り続けてくれた彼女は、自分で選んで私に手紙を送ってくれているのだと思うとありがたかった。この人にとって、私が何か支えやプラスになっているなら生きてて良かったと思えた。


メールも勿論嬉しい。なんでも嬉しいけれど、手紙というわざわざ手書きの文字を書いてくれるのが、手間をかけてくれるのが嬉しいと感じた。



その嬉しさは、結婚前にも実感した。



年賀状で彼女に入籍した旨を伝えると、式前にウェディングカードを添えて手紙をくれたのだった。

そこには、「自分も嬉しい」「幸せになってね」的な事が書いてあった。


式が始まるまで、状況が状況だから不安しかなかった自分にとって、一緒に喜んでくれるのは嬉しかった。寧ろ、自分の周りにはみんながみんな惜しみなく祝福してくれた様な素晴らしい環境であったのだが、そして、彼女が今までに一度たりとも私と文通する事をマイナスに思っていない事。文章にはいつも「あなたとで良かった」「嬉しい」とか、自分と関わってきた事でプラスの感情が書かれている事を思いだした。

自分の存在が、肯定されている気がした。


それから先日、遅くはなったが彼女に少し長い手紙を書いた。


今までの感謝と、これからの事を、織り交ぜて。



多分、彼女とはこれからも文通を続けるんだろう。自分の手で気持ちを連ねると、メールとはまた違った気分になる。文通も悪くない。


1年に1回でも良い。確実につながっているのなら、それはきっと大事な人だろうな、と感じたのであった。


出会いが何だって短くったって、彼女は大切な私の友達である。

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