学生時代
このままダラダラ小学生について書いても詰まらないので、一気に進んでしまうと、
あのあと私は引っ越しする事になってチャリ通学中に事故に合ったが軽傷で済み、サボり癖がついて嘘を言う事に慣れ始めてしまった事。やる気は一向に出なかった事。
好きな人はそのまま好きだったこと。
またクラスにややこしいのがいたが、先生も助けてくれて、今度は自滅したこと。
友達はどのクラスにいってもいたので助かった事。創作で負の感情が浄化されていった事。
良くも悪くも大きくなり、中学生は完全に陰の者へと進化した。それでも声をかけてくれる子はいて、グループにいつの間にか入っていたが、いわゆる嫌われ者に自分は好かれるらしかったが堂々と喋る事にした。
好きな人とはやっと同じクラスになれたが、好きな人は真面目で優しい感じから、一皮むけてパリピになった気がした。それでも優しいのは変わらず、好きだった。相変わらずモテた。
が、仮にも嫌われているらしい私の友達がその好きな人にラブレターを書き、公開されていた。少し可哀想だと思った。
その頃丁度あの分厚い果てしない物語にドはまりしていた私にとって一人はどうってことなかった。なんか知らんがクラスのパリピ女子があだ名で話しかけてくれた。
真面目で地味な風貌とは裏腹に勉強はどんどん出来なくなって、授業も眠たかった。
引っ越して、兄弟のごっこ遊びは酷くなっていった。まさぐられる事が増えた。夜は気絶する様に寝た。
ピアノの練習をしなければならないのに、寝転んで何もする気にならなかった。塾の宿題も、他にも出来る事があるだろう時間を、天井を見て過ごしていた。
勿論怒られるのだが、いつも「何故そんなにやってこないのか」と聞かれ、答えを見つけるのに頭が真っ白になって何も答えられず、また怒られた。
一度、ピアノをサボった事がある。2度目はバレて、母に怒られた。それからは一度もサボった事はない。
怒られて、眠くなって、夜は変で、眠くなると叩かれる。怒られる。
段々、自分は何なのかを考える様になった。
作詞が捗った。作曲も暗いけど次々曲が出来た。それを聞くと落ち着いた。でも、それを弾くのは怒られた。明るくないし、遊ぶなと言われた。
私は、発散の場を失った。ただ限られた時間に録音して、下手くそな自分のピアノと声を聞きながら、暗い部屋でうずくまって泣いた。
作った曲は、私が泣いてしまって言えない事を歌わせてくれた。それを遊ぶなと言われたのは、大人になるまで引きずったし、これが色々溜め込むきっかけにもなった。
何を思ったのか、親戚でキャンプ行った時も詩を、絵を描いた。暗かったから消された。楽しんでるのにこんなの書くなと怒られた。私は、楽しくなかった。
夜の変な事は、私が眠ろうとするとドライヤーを落とされた。それでも痛くないくらい、眠たかった。
手つきは乱雑で、良いとは思わないのに身体は反応した。嫌すぎてごっこ遊びのお話を反らそうとするけど、無理だった。
好きな人の顔が浮かんでしまって、嫌だった。
でも、好きな人に彼女が出来たと聞いた。クラスの可愛い子ではなく、普通の子だった。ただただ兄弟の前で泣いた。
中2はもう荒廃していた様だった。コンクールで全国に行った。東京は皆レベルが違うから怖かった。
クラスで先生が誇らしげにみんなに話してくれた。頑張りはしたけど、先生に怒られまくった記憶が新しい。
友達は少しヤンキーっぽかったが気楽だった。自分が暗いのでイメチェンしたいと相談して、鋤いて貰ったらとアドバイス通りにすると、職員室でやさぐれたかと話題になったらしい。
好きな子に手紙で告白した。ちゃんと受け取ってくれて、次の日わざわざ手紙で返してくれた。
今、彼女がいるからとの事だった。泣いたけど、パリピに成り果てた彼から渡された手紙は、私が好きになった彼の丁寧で優しい文章のままで、嬉しかった。
合唱コンクールの伴奏は相変わらず選んで貰っていた。伴奏が楽しかった。
暗い部屋にいる事と、泣き出す事、やる気すら出ないのは酷くなっていって、中二病も患って酷くなっていった。
そしてこの頃、初めて兄弟の部屋でエロ本を見つけてしまって、何もそんな自分でする知識も全くないままに、気づけば一人で良い様に快感を得ていた。
五線譜のノートが次々埋まり、創作は安定していた。と同時に、生と死についてよく考える様になった。
兄弟は嫌いではないけど、離れたかった。行為は部屋に収まらなかった。
ある日、針で突き刺す様な痛みが走り、兄弟のが入りやすくなった。この事を今の旦那と行為に及ぶまで隠し通せるのか怖くて仕方なかったし、もう墓まで持っていくと決めている事なので、もし本人にこれが見られたなら私はどこかへ消えようと思う。
眠気はピークだった。話を聞いている時すら意識が飛んでいく。限界だった。今思えば、私が勉強嫌いじゃないのに出来ないのはこれのせいにも出来るかもしれない。
「声を出せ」「良くないのか」
時々イラついた様に言われた。良い訳がなかった。
丁度性教育を習った。男子が騒いでるのを見て、ああ、これが私が毎晩してる事かと理解して、変だと確信した。
兄の机から甘い香りのするゴムを見つけて、初めてそういう事する時はコンドームという物があって、それをする事を知った。
よく奇跡的にできなかったなと思う。今でも唯一の救いだ。
いつか聞いた。もう他の女の子としたと。
私は、さしずめ練習台にでもなっただろうか。
もう、怒られないなら何でも良かった。それでも普通じゃないとは思っていた。
忘れていた、かの彼女とはとおにクラスも離れて、完全に孤立していたらしい。声をかけられた彼女の顔は泣きそうで、「会えて良かったー!」とか言っていた。私はどうしても笑うことすら出来ずにその場をやり過ごして後にした。
人に何かしでかすと、必ずしっぺ返しがくるのだと信じていて良かったと、今でも少し思ってしまう。
好きだった人は、中3で部活の女子全員と付き合ったと、意気揚々に私に逐一伝えてきた。萎えた。でも、最後の合唱コンクールで一緒に指揮と伴奏出来て嬉しかった。気持ちは完全にどこかへ行った。
その頃違うグループで男女混合仲良く過ごしていた。絵描き字描きの完全に陰メンバーだが普通に楽しかった。何か知らんが私はアイドル扱いされた。ヲタサーの姫か?
その中で字の綺麗な、とても大人しい男の子とよく話す様になった。泣き虫だが、話しやすかった。
高校は近いし一緒の所だった。初日からその子のお母様の前で盛大にずっこけて助けて貰った。
高校は順調に楽しくそれなりに過ごし、変な夜は続いたが、段々その子の顔が出てくる様になった。
今まで彼氏すらいたことのない私にとっては、付き合う行程が分からない。え、そういう行為になったら...と思うと、バレるのが怖かった。
ヲタ友が増えていく中で、その子はよく話しかけてくれた。小学生の様な覇気は失っていたが、部活は先生の推薦で部長になった。
高校3年、その子とメールをよくする様になって、風邪を引いた。うつるからと夜は部屋を分けて寝る様に強行で持ってった。それからは夜安心して眠れたし、風邪が治ってから「別で寝る」と言えた私は低レベルながら偉いと思う。そこでぱったり夜の行為はなくなったのだ。勝利だ。
とはいえ、眠気は全く取れなかった。成績も落ちるばかりで塾に行っても意味がなかった。大学受験の用意で先生に頼ってばかりだった。
そんな中、吹奏楽部からソロコンの伴奏を頼まれる。楽しかった。違う楽器の楽譜を初めて見た。合唱の指導も初めてしたし、クラスが優勝した。
自分の中に伴奏の楽しさを見いだしてきた。
先生と2台ピアノをした。楽しかったが全然駄目だと言われた。貴重な経験だった。
初めてカラオケに行った。音が外れたまま大声を出されるとは辛かった、自分も正しい音が綺麗に適切な音量で出る訳ではなかった。でも、楽しかった。
まだ良かったと思う事がたくさんある。そしてそのまま、
期末試験辺りだったか、
「もしもし、」
電話口から聞こえる、母の声がとても聞き取りづらかった。