先生の在り方を考えたこと

突然だが、私にはいま、1人の生徒がいる。





年頃の子ではあるものの、疲れたとか眠いとか欠伸をする割に、もうちょいやる?やめる?と聞けば「いや、出来るまでやる」と反抗する事も一切なく素直に頑張っている礼儀正しい子である。と同時に小さい子にとてもやさしく、気の良いやさしい子であると思っている。


そして私の様に心を閉ざす事もなく、出来たとかできなかったとか教えてくれるので何を言うべきかどうしたら良いか、こちらも分かりやすくて助かっている。逆にこういう所はすごいと思うし尊敬する。



自分の事を言ってしまえば、元々人と話すのもそんなに流暢でもなければ会話も続けられない、語彙力もさほどないと思っている自分にとって、こんな自己肯定感が低い自分がまず人を教えようなどと、お節介が故に思ってはいたが実際には難しいと思っていたし向いていないとすら思っていた。

自分が培ってきた耳も、最近友達によってようやく動画で世間様に見せる様になってきたものがほとんどだ。大学生になって初めて自分の曲を1分だけライブで弾いたし、昨日は職場で初めて自分で作った即興を聞いて貰った。顔から火が出るんじゃないかってくらい恥ずかしさを感じた。



これが、恥ずかしい(CV:綾波)



というのは置いておき、人に何かする、いわゆる人の役に立つのは好きなので、お節介と感じない相手やタイミングだと確定すると何かしら自分の少ない知識を総動員して伝えていたのも事実であり、あとから後悔したり・・というのはよくある事でもあった。



話が逸れてきてしまったが、そんな私がまず人に教えるきっかけになったのは恩師の手伝いだった。小さいガールズにしどろもどろになりながら教えたりした。


憧れていた先生がしていることを、チャンスのある今、教わりたかった。


大学の授業でも少しあったり教育実習でなかった事もないが、そのたびに「ああ・・・教えるって難しいな」「ああ、ぱっと言葉が出てこない」「良い量の話題が持ち込めない」「情報量が自分に足りなさすぎる」とか、毎回毎回毎回毎回微調整に悩んで落ち込む。今ですら落ち込む。


そして何より、自分は他人に「怒れない」。実際に怒るつもりは毛頭ないし、怒りたい訳でもなくて、とどのつまり、メリハリをつける為に厳しく出来ないし言えない。自分に肯定して物事を言える自信が全くなかったからだ。


褒めて甘くしてしまうのがオチ。と考えた。


そしてもう一つ、ぱっと言葉が出ない。言語処理が遅い。後から「ああ、こうだったな」とか思ったり、一番は、他者にかける言葉の選択を吟味しすぎて迷いすぎてしまう事にある。

ただあまりにも言葉が出なくて、一時期母親から、私が幼少期に若干発達障害を疑ったという話を思い出し、大人になるにつれて何となくその感じも分かる気がするとか思っていた。実際キレた恩師に一度、「何か、頭(病気みたいなの)あるんちゃうん!?」と言われたが、どの回答が正解なのか悩みすぎて頭が毎回真っ白になるものだからその時の自分としてはそうかもしれない、むしろそういわれた方が楽な気がするとか思ってしまっていた。各方面に申し訳ないけれども。


他人に対して発言に責任が持てない。指導者としては失格ではないだろうか。なんて思った事もあった。

真剣に習いたい子に対して、自分では役不足すぎる。それは、曲りなりにも自分が真剣に向き合ってきた音楽だったからこそ、練習は時々怠っても好きだと思った音楽に手を抜く事を覚えられなかったのが自分である。



しかしそんな時である。ある、自分の母よりも年上の初心者マダムに教える事となった。おっとりしていて真面目で、一生懸命な人だった。


何であっても何より自分の周りにはそういう人が多い。本当にありがたい事である。分からないなりに、何が分からないかを本人にも聴きながら進めたレッスンで、「自分が思っているペースは他人のペースではない」事を嫌でも知らされる。いけいけどんどんではダメだし、熱量でなんとかなる訳ではない。

それでも何とか理解してついてきてくれようとする。私は何が出来るかを探す。ためになったかは分からないが、そのマダムは無事教室を卒業して実技試験に受かったらしい。初めて、感謝をされた。


やって良かった。そう思った。




それから何年か後。私は就職し、身体も心も疲れ果てた時に新たな出会いがやってきた。


近所の小さい子にレッスンをする事になった。



体験をするにも何からしたらよいか分からない。自分がどう始めたか覚えていない。楽譜を見に行って、教える為の本を買って、資料を見て、今あるもので使えるカードを用意して、とにかく物をそろえた。


ただ、やんちゃだったので親の前ではふざけてしまう。そして私は人にキツく言えなければ迫力に負けてしまう。

初日。とにかく、出来る事を見つけて褒めてはモチべを揚げる事に徹して初日が終わった。本人はふざけだしたが、あっという間に時間がたった。

上達というにはほど遠い雰囲気ではあったが、とても楽しそうだった。


それからふざけはするが、レッスンに来るのは好きな感じだと捉えていた。大きい事は望まない。この子は趣味で習っている。練習や宿題は告げるが、やってこない限り先には進めない。ただ、少しずつだが出来る事は増えている。そう思っていた。楽しかった。

しかし、悪かった事と言えば、この時は自分も仕事の休みに行く伴奏後にそのレッスンを入れていた事だろうか。正直体力がない自分にとっては限界でしかなかった。レッスン日を再度確認しにいったりしたのは大分と、それはもう最悪だったと思う。


その子自身の意思の元は続けられたのだろうが、親から長期休みをするので宣告を受けてから、一切連絡が来なくなった。微妙な形で終わってしまった。まあ近所だから挨拶はするんだけれども。



それから、失敗するのが怖くて余計にレッスンするなど考えられなくなった。習う人に教えるという事は、責任がある。私はその責任を果たせなかったのだ。

と言いつつも、レッスンが減ると休む時間が出来た。身体が休まってくると、ある時前の職場で趣味の子に就業内で軽く教える機会が出来た。

その頃にはもう、他人主導の考えをする職種だったのもあって、余計な肩入れはあまりしなくなっていた。


その子とは時間をかけて徐々に話す仲となっていた。純粋に頑張って、趣味で楽しんでいた。ふざける事もないし、意思を伝えてくれる。

ここでは、先生と生徒でなくてはいけない場所ではないし、私はこの子の人生に責任を負わなくて良い。軽い、アドバイスみたいなものだ。


ふいに、「これさ、こうしてみたらやりやすいかも」


と言葉が出て、それが上手くいく。



一度上手くいくと、「そうそう!」と褒めるのはすぐに出てくる。これが良い、あれが良いとか、人の良い点を探すのは得意な方だと思う。

何より、一生懸命にしようとしてくれるからこそ、こっちもこうしたら、と言えた。多分根底に「この人はここまで話して大丈夫」という人間関係が築けていたからだと思う。


それを言えば、おそらく前回自分は子どもだけではなく、保護者との基盤を築けていなかったのではないかと思う。そして保護者が持つ子供へのニーズを達成できてないと捉えられた結果だとも思う。



元々自分より年上の方が接しやすい事もあり、性格や好きなものも渋いものが多いのか合っている気がする。

先輩と呼ばれるのはいつでも慣れないし、自分は誰かの上に立ちたくはないし、話もうまく切り替えできなければ続ける自信もない。でも、人には興味があるから話は聞きたいし、自分より豊富な経験と知識を持つ人生の先輩から延々と話を聞ける方が楽しいし、話をしたい人がいればそれを聞きたい。

小さい子や年下の子の面倒を見るのは嫌いじゃない。友達でない同期も苦手ではないけれど、でも、何かしようと思いすぎてやりすぎてしまう事がほとんどだったし、その都度脳内反省会がしんどい。何をすれば、どうしたら。駆け引きしなくてはならないし、年相応の面倒な事が嫌だ。年上の人にはある程度任せられると考えているんだろうか。平和だから安心する。


と言った、今の時点でも何一つ魅力を感じない「先生」ではあるが、立場は何であれ、ある程度生徒と先生にも相性があるとは思う。勿論保護者と先生にも相性があると私は考えたい時期もあった。

ただ、だからと言って手を抜く事はない。抜きたくはない。



それから少ししてから、伴奏の繋がりで自分の生徒を一度見て欲しいと頼まれた。本番を前にした子に何と言ってよいか分からず、大失敗して恩師にバトンタッチした。ここで初めて「本番を控えた人にかける言葉のむずかしさ」を知る。


顔から火が出るほど恥ずかしかったが、再び頼まれる事があり、今になっても恩師と頼んでくれた先生には頭が上がらない。その時は感想を述べたまでだったが、良かったようだ。気づいたが、そういう時は大体過去の自分に似ている子がいる。



そして去年。とある伴奏で知り合った保護者のお子さんを見て欲しいと別の先生を若干経由して教える事になった。今の生徒である。




率直に言えばこの子にやる気があるだけでなく、とても素直なので教えやすく、相性がおそらく悪くはないのが続いている理由だろうか。


ハッキリ言えば、進路の相談もしてくれるしせっかく習いに来てくれている分責任はあるにしても、専門までの道筋を立てない、趣味の指導の方が自分には向いていると思った。

自分が真剣なレッスンしか受けてこなかったし、そういう雰囲気を知らなかったから、どうすれば良いかわからなかった。


多分、自分が卒業してピアノを自由にようやく弾く様になって、楽しさを自分で見つけて肯定したから人にもそれを伝えたくなって、「こうしたらすぐ出来るよ」と楽しさを見出して欲しいと願う気持ちが、自分の指導したい方法だと考えるに至った。


先生は、専門生を育て教えるだけが先生ではないのだ。と当たり前のことに気づく。


自分なんか・・・と悲観的に「先生」と呼ばれることさえ申し訳なく思う時期も最近まであった。自信がない。


それでも、周りは「先生」と呼んでくれるのだ、と思っていた。



が、実際はそうじゃない。教えられる「生徒側」は教える側を「先生」と呼ぶしかない。

生徒である以上、先生はどうあがいても先生でしかないのだ。

先生が先生かなと迷っていようが、生徒にとっては先生は先生でしかない。そこに先生の意思は関係ない。

先生が先生じゃないと言ってしまったら、生徒は何と呼べば良いのだろうか。そこまで考えて、それは寧ろ失礼になってしまうと思った。


ここまで考えないとようやく常識とやらには辿りつけないが、この日から私はようやく自分を「先生」と呼べる様になったし、生徒が先生と呼べる存在でありたいと願いようになった。


もともと人のためには何かしたい。悲観するより誠心誠意、自分の知識や技術をどうにかする他ない。

何となくではあるが、巡りめぐって、以前、友人の言った言葉が駆け巡っている気がした。本当に感謝しきれない。


昔から相談されると、聞いてくれたのが嬉しすぎて内容を見誤ってしまうのは今も課題ではあるが、誠心誠意取り組むのと、人の役に立ちたい気持ちは消さずに持っていようと思う。


そういえば小学校から、生徒会立候補もずっとその理由だったな。











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