義実家の正月

さて、バタバタの実家を出て、今度は義実家である。こちらはのんびり家族であるが、何分バタバタの中で育った自分にとっては「何かしないと落ち着かない」場所である。

義母は、嫁いでから沢山苦労されたそうで、その気苦労を私に負って欲しくないからと「ゆっくりしててね~」と妹さんと台所で動いてくれる。
しかし流石に今年は何か動きたい。義父との会話にも限界があるし、義父も緊張されている。プレッシャーはかけたくないが、義父も家事を手伝う人なので、いよいよ私の役割は姪っ子ちゃんとの遊びになってくる。

義父が妹さんを迎えに行ってから何とか台所で洗い物をするまでに辿り着いた。あまり行ってもお母さまが仕事を気遣って見つけてくれるだろうから、自分で気づいてなるべくする様にはしたが、限界はある。

だが、義母はよくしゃべる方なので救われた。
その時の話でどうやら、妹が孫(姪っ子)にピアノをさせてみたいが、義兄が「本人が行って来たら習わす」方針で、いやまず興味を持つきっかけ持たせてあげるのが大事なのではと思うけれど、あまり手出しするのもどうかと思って悩んでいる。との事だった。

今は、キーボードの光を追うにも追えず、「出来なかった」と言って疎遠していると聞いた。

私も義母と同じ意見だった。芽があっても水がないと育たない。

興味を持つからこそ、習おうとか学ぼうとするけれど、子どもは父母の見ているものや幼稚園で見るものしか多分しらない。ピアノをさせたいなら、まず音で遊ぶとか、コンサートに行くとか、それこそ動画を見るでも良いとは思う、とこの話を義母には正直に伝えた。

せっかくうつぼちゃんが来てくれるからねえ、とキーボードを持ってきてくれたら、という希望は今回叶わなかったが、こういう時こそ、ほんの少し、お節介が顔を出す。

その後辺りか、私が自分の婦人科の薬を忘れたせいで不安感が募り表情が固まっていたのか、途中で買い物を勧められた時に新郎が何となく察して連れ歩いてくれた。

自分が、何か出来る事はあるか。

ふと思い出した義母の話を思い出しながら、ダイソーで9色の付箋を買っていた。


キーボードがなくたって、音が出る鍵盤とこの付箋があれば、きっかけなんていくらでも出来る。



おいしいごちそうを頂いて姪っ子ちゃんとも遊びまくり、明日は仕事だという義兄が帰ってから、偶然その時はやってきた。

ピアノのアプリを入れ、(思ったより鍵盤は細かったが充分だ。)姪っ子ちゃんにまず、先日友達と弾いた動画を見せた。

オトモダチの話をしてからの自然なスローインである。

自分のおうちにもピアノがあると話してくれたが、でも出来なかったの・・としょげている。

「じゃあさ、音遊び、しない?」

のってくれるかは賭けだったが、運が良かったみたいだ。

ピアノアプリを起動して、細い鍵盤のうつる携帯画面の上に、細い赤の印が書いてある付箋を貼る。

「ここが、ド。次は知ってる?」

「レモンのレ!」


いや、知ってるじゃん。すげえじゃん。いや、褒め案件だ。

そうそう!と言ってまずはド・レ・ミを貼る。

「どの色にする?」

レモンは黄色、ミカンは・・ん~オレンジ!と予測通りのセレクトだったが素晴らしい。積極的に貼ってくれると、自分で弾いている。

「実は。これを4個ずつ弾くだけで、あれの左手が出来ます」


職場直伝である。炭のじろうが流れると、「わあ!」となる。まあ、リズム感まではまだないからめちゃくちゃだけど、わかっただけでかなり興味が出たような表情だった。「出来たね!凄い!」と言うと、「出来た!」と嬉しそうな顔が見られて私は100億倍くらい嬉しかった。

すぐ覚えてくれるので一気に1オクターヴすると、自分で好きな色の付箋を選びながら一つずつ弾いて、確かめていた。
私はと言うと、鍵盤をメモに書いて、その上に使った付箋を貼る。それをママに渡し、どの付箋が何の音かを伝える。今日やった事の報告だけ済ませると、義兄への申し訳なさもあったので「お節介かもしれませんが」と付け加えた。

「この付箋を使って音が覚えられるとね、お家にあるピアノも一緒だから、弾けるようになるよ。」

「お家のも、弾けるの?」

この会話が、お家でのピアノをさわるきっかけになれば良いが、どうなるかは神のみぞ知るである。何か役に立てば良いなとは思っている。



人の家は、勿論だが自分の家とは違う習慣や流れがある。

物の量。質。位置。気温や香り。

沢山ある中で、義実家は、うちの父方の祖父母の家と環境が似ている気がした。

冷蔵庫とか、炊事場が似ていた。


切り込んでいってしまうと、実家とは正反対なのである。

故に、炊事場にコップが溜まる事のない実家育ちの自分から言えば、「寝る前に明日やれば良いからね」が、どうしても我慢できなかった。

洗ってしまいながら何かと戦っていた。郷に入っては郷に従えとは言うが、どうやら入り込めなかった。


朝になって一番に起き、そのまま二度寝が怖くてカバンの整理をしようとしても、「まだみんな寝てるから」と新郎に寝かされた。
ようやくみんなが起きてきて、先に化粧して用意して朝一番こっちの部屋に来た姪っ子とひたすら遊んでいると、時間のゆっくりした流れを感じる。

実家と違いを感じつつ、一番に良かったのは、みんなのメンタルが波立たない所である。ここが素晴らしい。朝イライラした声に起こされる事もないし、餅が溶けると急かされることもない。

一つ失敗した事と言えば、こっちの姪っ子ちゃんも空気を読んだり賢い子なので、大人同士でしゃべりすぎて結果「遊んで」を待たせることになってしまい、寂しさでほろほろ泣かせてしまった事である。

「待ってって言われたから我慢してくれてたんだね、寂しかったね、ごめんね」と言った私も、すぐに姪っこちゃんの元に言った義母も新郎も、「ごめんね」がすぐ言えるのは素敵だと思った。


実家で「ごめんね」なんて、最近父がようやく言い始めた位だろうか。母から聞いた事がない。

こちらの姪っ子ちゃんも新しい事や知らない事に対して、こちらはおしゃべりも込みで特に回避する様な感じが見られたので一度ボードゲームで切り込んでみる。

「これも良いけど、新しいの一緒にやってみたいな、いい?」

と聞けば、うん、と言ってくれるのはやさしさだと思う。ありがとう。後は任せとけ。

説明書を見ながらやっているのを、「あ、こうだって!」「なるほど~」とか、すぐテレビに視線が行くのをこっちに引き付ける様にしながらやってみると、なるほどすぐに吸収してくれる。見てなくても普段から聞くだけで理解して話してんだろなあ、賢いなあ。

「なあんだ、こうだったんだ!」と言ってくれたときにははちゃめちゃに嬉しかった。大丈夫。分からない事は、一緒にやってけばいい。私も今日これは初めてだ。めっちゃ楽しい。


なんか、年始から仕事の考えがなまらない為の良い経験だった気がする。



まあ、この後仕事で全然あかんかったんだけどね(オチ)





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