私達が考えた夫婦間での意識

グーグル先生に聞いたら「長く続くカップルの秘訣」やら何やら教えてくれるだろうが、これは日頃から取り入れたら良いなと思った個人的な考えであるので、へえって感じで見て頂ければと思う。


グーグル先生は偉大だ。私も相当お世話になったが、調べれば色んな事を教えてくれるし、知識が手に入る。ただ、調べすぎるとどれが本当か分からなくなり、一周回って「いや、意味ないじゃん」と気づき、時間の無駄を悔いる事になるので、意見を2,3取り入れたら良いか位に思っている。
よく考えればグーグル先生の知識量は色んな人の知識の集合体だろうし、それぞれの記事を打っているのは人間であるだろうからだ。物知りな人間だって、誰かが書いた本を読んで知識を得たのであろう。結局は自分で考えてやってみないと分からないのだ。


正直、周りのご夫婦や新婚さんがどういうルールや「これを心がけてる」みたいなことがあれば是非ご教授願いたいし、討論というかお話を一度じっくり聞いてみたいし意見を聞きたい。お茶会したい。お茶会しよう(切実)

新婚さん、いらっしゃい~ってな感じでしてみたい。人生面白く生きたもの勝ちである。

ここでは自分達の話し合いや暗黙で成り立ったルールや生活のポイントを紹介していく。


  • とことん話し合う

第一にこれ。マジ大事だと思う。大事な話ほどとことん。
人生においてお金関係の隠し事があるとめっちゃややこしいと思っているので、そういう事は取返しが付かない前に早く打ち明けた方が相手の為にもなる。マジで。自分の非と感じるのも分かるが、今の状況だけでも伝えた方が良い。人生お金も大事。

対策が分からなければ、素直に打ち明けた上でどうしたらよいか、どうにか出来るのかを一緒に考えたら良いと思う。マイナスを共有するのだって信頼を固める材料になる。

間違えても「言い合う」じゃない。「話し合う」である。

過去の偉人に「話し合おう」と言ってお亡くなりになった方がいらっしゃるが、本当、そうである。感情に任せた大事な案件の対応、ダメ、絶対。

まずこれをするまでにお互いの信頼性(相手と立場が平等である事)は必須だと思うが、今はとにかく説明していく事にする。

その時に、不安要素や不満、お願いしたい事、思っている事を意見としてどれだけ相手と共有して、「まあいいか」、つまりお互いの納得する答えを見出せるか(お互いの落としどころを見つけるか)に今後の第一歩が関わっていると言いたい。

・まず、互いを受け入れる

さてとことん話し合う場面が作り上げられた。その後で大事なのは、「必ず相手の意見をまず受け入れてから、それに対して自分の思った事を言う」態勢を作る事だと思っている。つまり、先ずはお互いにお互いを受け入れるのである。
環境の違いはあるが、人間はまず親の愛情に始まり、自分自身の受容経験、相手からの受容経験を経て、自分が相手も受け入れられるようになるのだと児童教育で学んだ。つまり、自分の意見を否定して欲しくなければまず相手を否定しない方が聴いてくれる、と言った所だろうか。

誰だって批判的な人に物を言いたいとは思わないはずだろう。
話をまず聞いてくれる人に言いたくなってしまうのではないだろうか。

  • 平等である

価値観の一致は、長く続くカップルの秘訣だとよくグーグル先生からきいた。

笑うポイント、好きなものなど、価値観は沢山共有する程話も盛り上がるし、確かにそうだと思う。共通点が多いほど初手は話しやすいだろう。

生活する上ではお金の価値観、物の価値感なども、お金を管理する上で必要にはなってくる。結婚するとなると、生活費を誰が出すか、どこを分担するかも話し合う事になる。

ここで意識として重要だと思うのは、働いている方の立場が上ではないことである。家が職場環境だから外に行くより楽、というのも間違いなのではないだろうか。仕事は仕事。

ありがたい事にわたしは自分のペースで働きながら養って貰っている身ではあるが(結婚前に相談して了承を得ている)、その分家事を担っているのだと思っているし、家事も立派な仕事だと思っている。

主も家事は主婦がすべきことだとは思わず、大概やれる事はすすんでやってくれる(私が不器用だったり大雑把な所があるので、彼の納得いく感じでないと自分でやってくれる時が多い)ので、こっちもせめて毎日弁当は作らなきゃなと思うし、今のうちにやりたい事があれば自由に行っといで、のスタンスで成り立っている。

私はマメな方ではないし、家事も得意ではないので、主から何か要望があるのなら、まず言って出来そうか努力はしてみる。ただ難しかったりどうしても主の思い通りでない時はどうぞ自分で納得いくようにしてくださいと伝えてあるので、その時は任せる様にしている。文句を言われた事はないけど、微妙な顔をしている時は確認してお任せし、お互いため込む事のないようには努めているつもりである。時々綺麗に磨き上げられた食器が置かれているので、申し訳なくは思うが、こちらとしてはありがたい限りである。

  • ありがとう、ごめんなさい、をきちんと伝える

これは夫婦だけでなく、友達でも仕事でもどこでも大事なことではないだろうか。生きる上でも一番重要と言いたい。ここで人とのコミュニケーションに差が出る。

私達の間では、圧倒的に家事や手伝いに対してこまめに「ありがとう」と伝える様にしている。感謝は積めば積むほど自分も「助かる」と意識が芽生えるきっかけになるし、相手にも「助けたぞ」と自信や達成感(自己肯定感の向上)を分かりやすく感じさせるからである。
ありがとう、はやりがいを生む。言い方は悪いが、この手法で主が家事を一緒にしてくれるのでとても助かっている。

ここで意識しているのは、何に対して「ありがとう」「ごめんなさい」と言うのかをしっかり理解して言う事である。
仕事では、「ありがとうございます」「すみません」と何に対しても言う人がいたりするが、感謝と謝罪は、大事な言葉である。それが故に、場面や理由を無視して乱用してしまうと感情が薄れ、折角の効果がなくなってしまう。何より、相手に気持ちが伝わらない。

これは余談だが、私は「ありがとう」「ごめんなさい」「すみません」を使い分けている。申し訳ないけど相手に任せる時やまだ挽回できる時などは「すみません」。本当に心から謝罪したいこちらのミスは「ごめんなさい」と言う。
もう一つ、「ありがとう」とちゃんと言いたい時は、場面を見て少し抑揚をつけたり、ゆっくり伝えるかちゃんと相手の目を見て伝え、困ってたから助かったとか、理由を述べて言う意識をしている。相手を無碍には扱いたくないからでもある。

忙しい時には忘れがちだが、余裕がある時にはやっておきたいと自分が思っていることではある。


  • 共通点で一緒に楽しむ。増やす。

私と新郎が上手く一応いっているのは一重に新郎のなんでもこいスタイルと「そういう時もあるさ」みたいな受け皿が広く深いからこそ成り立ったものだろうとは感じているが、お笑いを見るツボは若干違うものがあれど、共通点も多い。
そもそも私達はコミュニケーションに長けた人種ではないので、快い人間関係でいられる絶対条件が「自分が素でいられる事」なのである。二人共深く狭く友人を作るタイプであるが、一応初対面でも当たり障りなくは関わる事が出来ると思っている。

共通点でいうなら、私達はお互いにお互いの興味を持った好きなものを吸収するので、アマプラで見まくったアニメで共通点を増やしているし、見たアニメのOPを何故かハマった私よりも主の方が歌えたりするので、完全なアニヲタが完成しつつある。逆に私は主の好きなものにハマりはしないが、気にはなるのでチャリの部品が何か聞いたりする。と言いながら、ツールドフランスを見るのは好きになった。

共通点がないなら、作る手もあったりすることは今打ってて分かった。

  • お互い「まあいいか」で許す。

疲れた時は疲れた、ダメな時はダメ、何もしたくない時は何もしたくない、頑張る時は頑張る。プラスもマイナスも正直に言える環境は、案外楽であるし、「そっかそっか~」と言える余裕が互いに生まれる。自分が認められれば他人も認められる。お互い、気持ちに余裕が生まれる。

結婚するまでここらが言えなかった自分にとっては、罪悪感をぬぐうのにかなりの時間がかかったが、堕落するレベルでなければ「まあいいか」という時間があるのはメンタル的にもかなり助かる。
面白い事に、今自分の職場では、「大丈夫。そんなこともあるよ」と言うのはとても大事な支援でもある。自分の失敗や非が許せないのは、本人にとってもしんどいものである。

実家に帰るといつも第一声に「今日はこれしてあれしてこれした!疲れた」という話を聞く自分にとって、今でこそ「そっか、いっぱい動いたんだ、そりゃ疲れたね」なんて言えたのは本当に今の環境あってだなあと思っている。それまで自分に自信も余裕もなかったのだ。

とりあえず心では思ってなくても「お疲れ様」と声をかけてあげるのは、有効であると思う。しんどさはみんな違うものね・・。

さっきの文に続く感じではあるが、第一に必要だと思った意識は、お互いが疲れた時はお互いに「お疲れ様」である。自分も相手も疲れたと感じるレベルは様々である。多種多様。
これが言えるだけでも、めちゃんこ偉いから是非言ってあげて欲しいし言って欲しい言葉であると思う。

みんなまいにち マジで おつかれさま!!

正直文句もたまにはあるし面倒だと思うこともあるけど、病気したりしんどそうな時は心配だし、いない時は寂しい時もある。基本お互いマイペースだけど、基本的に大事な人には変わりない。

・嘘をつかない

隠し事は誰だってあるだろう。これは私の母が言っていた話だが、父には虚言癖みたいなのがある。お菓子を食べたのに、食べてないとかそういうレベルではあるけれど。私も昔似た様なものがあったが、ひとえに自分を守る術をみにつけ、心の安寧の確保と他者からの目線から避けたい、でもちゃんとしてると見せたい自信のなさが作り上げてしまった歪みであると思っている。

大人になると、何でもかんでもいうことは減ってくる。状況を見て言う言葉を選択するからだ。遊園地に行ったけれど「用事で外出」と言っても嘘ではないし、正直言って損することもある。

夫婦だって、全部しっているよりも少しくらい奥の手を残しておきたいものだと思っている。

母曰く、「言わないのは良いけれど、隠し通して欲しい。嘘つかれるのは悲しい」との事だった。正直に生きるのは、怖い気持ちも分かる。マイナスな気持ちの時に見通しが持てない人生は私にとっては不安でしかない。でも、嘘は気持ちのわだかまりを生むし、小さくても積み重ねてしまうと大きくなるし、罪悪感は消えない。

嘘は、正直に言わない限りまた嘘で隠すしかない。そうならないように、正直に「ごめん、お菓子食べたら何か言われるの分かってたけど、美味しそうだから食べちゃった」とか言えるまでになると、こっちも一応まずは「そっか」となるのである。別にすること自体を責めている訳ではなく、ちゃんと理由がある上で説明もしているのである。因みに重大な嘘は浮気とか不倫も含まれている。



以上の7つくらいだろうか、他にもあるかもしれないが、基本的に今生活している私達が意識していたり、互いに関わる上で上手くいってるな、と感じるのはここのとこらへんがあるからではないかな、とか思っている。

そしてこうかなと思えたのは一重に私自身の自己肯定感が上がったからというのがデカイ。


これらの意識は、夫婦間だけじゃない。仕事でも、友達でも、家族でも共通点があると思う。

もし何か参考になるなら嬉しい限りである。



そしてあなたの意識や夫婦間の話を是非、聞かせて欲しい。

お茶して話そうよ!!!!!!


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