見出し画像

自分の課題と向き合う。

前日にした用意を当日、不安になってもう一度見直す。



そんな話を聞いて、共感した自分と、絶望した自分がいた。



さて、最近の自分は、人生を人と関わりながら生きていく為の方法を他人に教えていくのに、自分自身が今まで生きてきた人生で持ち合わせてこなかった経験を、自身を分析して過去と向き合い、課題と直面する事で積みながら、どうやったら伝えられるかとセットで考えて過ごしている。

もちろん嘘を教えてはいけないからやるという理由と、まず自分の経験として持っておかなければならないという自覚もあるのでやっている。(仕事だからというのもある)


これまでの記事にもちょいちょい自己分析の記事は書かせて貰ったのだが、ここ(分析)に至るまでの過程には、

「我慢や不満を外に出さずにいた」「他者と自分の違いに気づいた」「経済の自立が出来る様になった」「他人軸に疑問を抱きだした」「自分が嫌と思う事を肯定してくれる経験を積んだ」「自分の感情が他人に言語で言えた」「本音が言える相手が出来た」「生活環境が変わった」「自分を受け入れて貰える環境が増えた」「できない・わからない事に対して素直に聞ける・言える経験を積めた」「現在の自分を客観視できる様になってきた」「どうすれば良いか、と考える癖がついてきた」「改善する為に、どうしてそうなったのかを考える様になった」

なんて長~~い順番があったりする。

結婚して、実家出て変わった!と言えば早い。早いけれど、その過程をまず自分が知っていく事で、前は何が難しかったからこれが出来なかったという見方が出来るから、ポイントを外さずに過去と向き合って「じゃあ何をしないといけないか」に導く事が出来るのだと思っている。


ちなみに、自分の課題と直面するのは、大人になる程クソしんどくなる。

人間は成長過程で性格やアイデンティティーを形成し、それは歳を重ねるにつれて固まっていく。やがてそれは個性になり、様々な経験を通して深みを増していくものだと考えているが、自分のやっている事はそれを真っ向から否定していく様なものだと感じている。

私のしている事は、私から見れば自己否定の他なんでもない。きっと一番避けたい事だろう。いつも腸が煮えくりかえる様な、でも希望が持てそうな、泣きたくなる様なぐちゃぐちゃな感情になる。


そして、「我慢してきた経験」「出来なかった経験」が多い自分にとって、「出来なかった自分」に向き合う時間は(それを自分が認めて受け入れる時間は)結構な地獄である。正直逃げたい。でも、それじゃ今上手くいかない事も分かっているから、やっている訳である。

何故頑張れるって、けちょんけちょんになってもどうなっても帰って弱音を吐いて休める場所があると今は分かっているから頑張れるのである。

とはいえ、昨日はあまりにも課題が山積みの担当だったので、かのツイステッドにおられるこつこつ溜めてきた契約書を全て燃やされた時のタコの人魚の様に「もうやだ!!!!!!!!無理!!!!!!」と2歳児の様に言い放ってしまった。疲れたのも無理なのも、自分の思考と課題、出来なかった事と次の対策を考えての事である。ほんと次どうしようか皆で頭抱えてた。そうだな、今回は勃発したものを止める役が多かった気がする。


今の仕事をしていて痛感するのが、人間はコミュニケーションがないと社会を生きていけないってことだ。物の言い方・捉え方一つで人生は変わってしまう。「ごめんね」と「許してよ」だと、どっちが良いかって事だ・・・

仕事も、自分が昔から引っかかりを感じてきた事もこれがヒントであり答えに繋がっている事は、確信しているし答え合わせが出来る場所があるのもありがたい。

自分が成長した時は、必ず仕事でも成功するのだと、まだ経験はなくても何か確信めいた物を何よりも自分自身が感じている。だって、


『前日にした用意を当日、不安になってもう一度見直す。』



そんな話を聞いて、共感した自分と、絶望した自分がいたから。



さて、そんな地獄のルーティーンだが、「わかる~~~~~~~~~~~~!」とかで気軽に終わらせられる訳でもなく、まさか課題は1つで終わる訳がない。

人はみな同じではない。人に関わると言う事は、その人に合った声掛けが必要で、その人の何が課題で、どうしたら良いかの方法までも、人によって違ってくる。当たり前の事ではあるが、自分の答えを見つけてやっと考えが変わったと思ったら今度はそれをどう使うのかを考えるのも一苦労である。し、現場でそれがすぐに出てくる私の人生ではなかったのでいま苦労している。先輩曰く、気づけてはいるし、ポイントもおさえているらしいが。


実行にうつるまでの壁が高すぎる。あれ?ブレイク・ザ・ウォール!!壁!を!こわ!せ!!!!なの???山田一郎なの?????????ラップ習得してとりあえず語彙数増やした方が良い???私言い負かされない説得力もいま必要なんだけど?????????いま一番ないやつそれ


ここに来て癖の「人を伺う」スキル(発動確立100%)が出てきて邪魔している。自分より他人。他人から見た自分。


今の自分の課題は、分かってたけど「コミュニケーション」「実行力」

最近は担当や仕事量も増えて、難しい課題の担当も受け持たせて貰う様になった。ってことは、成長もしてるが、次のステップを自分も踏まなければいけないという事だ。何だここダンテかな。いまの担当、モロ私と同じ悩みを抱えてるんだけどどうしようって感じである。


あとは、もう一つこないだ気づいた。一次的接触が多分そんな得意じゃない。怖い。パーソナルスペースが少し広いのかもしれない。A.T.フィールド全開なのかもしれない。いや、人と関わるのは好きだし興味深いけど、単純に直接的なふれあいの距離感とか仕方が分からない。そこが今の仕事の悩み。なんでここに就職したんだよってつっこみたくなった。でも警戒心は多分強い。ヤバイ奴とか近くにいたら身体が何か落ち着かなくて離れたりはする。

あと、急に触られるとくそほどビビる。単純に人より少し過敏なのかもしれない。

気ごころ知れて本当に相手が嫌じゃないってわかってからじゃないと、直接的な接触は信頼値高いって分からないと怖い。ポンポンとかハイタッチとか、撫でるとかなら大丈夫だけど。もうギャルゲーみたいに仲良し度メーター見えて欲しい。本当に。

じゃないと、危ない時に人を助けてあげられないかもしれない。


ようするに、先に自分の人生が解決しないとすすまないのである。それか一緒に成長しようぜって気持ちである。


・自分の気持ちを言う経験→言葉選び

・場面によってどう言うのか・どうするのか考える経験→適切さ・スピード

・失敗経験(解決までセット)→やってみる自信につなげる

・語彙力→屁理屈に言い負かされない


最近人とのやり取りをしてる自分を支援の視点から見てしまって、でもねじれて返してしまう自分の欠点が浮き出ててうわあいたたたったってなる。この自分の考えのねじれを解決出来たら、親子関係も友達関係も、仕事ももっとうまく、円滑に、円満になるのかもしれないなあ・・・・

思う事や気づく事はできたとしても、まだ「出来る」にはほど遠い。自分の実感として「出来た」が欲しい。・・・・それも何か聞いた事ある課題だなあ・・・と、つくづく自分の出来てなさに目を向けては落ち込みそうになる気持ちを無理やり切り替えて奮闘する日々である。擦り切れた時は帰って一旦休むに限る。

最低限の連絡は取っているが、どうも他がすすまない。分かっていても進められてない話もある。とりあえずマシにはなる様に気分転換もしてみてるけど、今完全に実家で練習が出来ないので、いつもより資金を削って練習する事にした。これで発散も多少は出来るだろう。

今は実家に行く頻度も減ったし、姪っこに会うと仕事のスイッチが入ってしまう事が分かったので、ママに迷惑がかかるし余裕がある時に行く事にした。義実家のほうが話も落ち着いて出来るし、緊張はするけど自分が疲れてなければ会話も成立する。


日々、思考停止したい頭を何とか回そうと脳内だけが目まぐるしく動いていて、行動に出ているのは少しだから伝わる事もなければ、逆に消極的に感じるのかもしれない。でも、常々思うのは


なんでこんな、みんなやさしいんだよッッッッ・・・・!!!!!!



もう一緒に支援受けたい。答えがほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?