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研究をやめて、情熱のやり場を失った

こんにちは、失敗した犬っころです。

急に自分語りで恐縮ですが、つい最近まで、博士課程に在籍し、研究活動をしていました。

結局、色々あって研究が続けられなくなり、中退を選択することになったのですが、研究自体はとても楽しいもので、研究は自分のやりたいこと、情熱を注ぐ価値のある対象だなとは感じていました。

皆さんも、没頭するという経験は少なからずあると思います。小さい頃に好きなアーティストのこと調べて、私生活までチェックして覚えてたとか何かの図鑑を隅々まで覚えてたなど。それに近い経験をアラサー近くになってまでできたのは、大変嬉しいものでした。

社会人になるとなかなか没頭することが難しくなってくるのではないかなぁと思います。仕事終わりくたくたに疲れた後に趣味をやりたいけど、明日のことを考えて憂鬱。結局、お酒飲んで過ごした、YouTubeやテレビ見てなんとなく過ごしてしまったと言った具合に。

研究してる間は、すごい自由を感じていました。興味があることをリサーチをする、計画を立てる、実行する、結果の検証。その流れをずっと繰り返していました。むしろその流れこそが研究活動の本質に近いものを感じていました。

結果ばかり注目されがちですが、”過程を楽しむ”ことをすると、間違いなく人生は充実します。結果そのものは一瞬だけど、ほとんどの時間はみな過程の中に生きています。正直、結果はおまけみたいなものだなと感じていました。

これは皆さんも体感したことあるのではないかなと思います。例えば、スポーツ選手のドキュメンタリー番組。華々しい結果の紹介は一瞬で、そのあとは苦節の道があったことにフォーカスしています。どうして達成できたのか、という過程に興味を持っている証拠ですよね。

たとえ、研究を離れることになっても、研究でやってきた頭の使い方は、他のことに生かそうと思っています。自分のやりたいことを調べ、実現可能性を検証し、計画を立てて、実行する。今後の仕事選びや趣味に応用していけると確信しています。

研究を通じて、人生の楽しみ方というものがわかったのは良かった。今、研究がなくなり、ぽっかりと心に穴が開いてしまった。研究に割いていた頭の容量が、ガッツリ空いてしまった。この空白をどのように埋めて行こうか。

まぁ、まずは久しぶりにできた余白というものを満喫してみることにする。

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