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最初で最後のありがとう

 母の実家である亡き祖父母の家が、11月に取り壊されることになった。
 幼い頃、長期休暇や年末年始になると決まって訪れ、いとこ達と遊んだ大きな平屋の古屋敷。最後に仏壇仕舞いをするよ、と母から聞いた私は、仕事の休みを取り、思い切って行くことにした。
1泊2日の弾丸日程。片道およそ4時間半、特急列車と新幹線と私鉄を乗り継ぎ、350キロの道のりを、2歳の息子と二人で。
 もちろん、思い出の詰まった祖父母宅を最後に見ておきたいという理由もある。けれど、わざわざ仏壇仕舞いの日に行くのには、別の理由もあった。

 ご先祖様たちが眠るお仏壇を前に、自分や息子が今生きていることへの感謝を伝えること。
 そして、すべてのご先祖様がお空で幸せに過ごせるよう、祈っておくこと。

 自分がこんな思いを持つようになるなんて、数か月前までは全く想像できなかった。これまで特に信心深くもなく、墓参りをするのは法事があるときくらい。実家から特段遠い距離にあったわけではないけれど、定期的にお墓参りをする習慣なんてなかったから。
 そんな私が、なぜ今回わざわざ仏壇仕舞いに参加したのか。
 きっかけは、今年のお盆の時期、ひょんなことから家系図を作ってみたことだった。

 私は小さな子を育てる母が主催し、同じく小さな子を持つ母たちが集う、オンラインサロンに所属している。サロンでの学びのテーマは、子育て…もあるのだけれど、自分の意識や思考にフォーカスするような深いものが多く、毎回気付きがとても多い。そんなサロンの8月のテーマは「家系の法則」だった。
 また深いテーマだな、と思いつつ、お盆でもあるし、こんなきっかけがないと学ぶことなんてないし、面白そうかな、と最初は気軽に取り組み始めた。
 8月の始め、主催者に、学びを深めるにあたって、まずは家系図の作成を勧められた。役所で除籍謄本を取り寄せることで作れるという。
 除籍謄本とは、その戸籍に記載されている人が、結婚や死亡、転籍などの事情で、全員いなくなった戸籍の写しのことらしい。馴染みがなかったけれど、役所で聞いてみると案外入手は簡単だった。申請を行い、2週間後手元に届いた除籍謄本は、母方の家系を中心に、用紙30枚にも渡っていた。
 その多くが、役所の人が手書きしたであろう縦書きのものだった。

 いざ家系図を書いてみると、除籍謄本を読み解くのがとても難しかった。手書きによる筆跡の癖あり、文字のかすれあり、慣れない数字の漢字表記(「壱、弐、参」など)ありで、解読するまでにまず相当の労力を要した。
 そして、家族が多い上に、親、子、きょうだい、きょうだいの配偶者、甥、姪なんかが皆ひとつの戸籍に登録されているケースもあって、家系図はあっという間に横に広がっていった(自分の直系の人だけをまず拾って家系図にすればいいものの、どうしても登場するすべての人の情報が気になってしまう)。

 でも、時間をかけて家系図を書いていくその作業は、とても楽しかった。こんな苗字の親戚がいたんだなぁ。ひいおじいちゃん、こんなにたくさんの家族の戸主だなんて、大人物だなぁ。3世代くらい上になると、女性の名前は平仮名二文字が増えて、意外と今の小さい子につけるのが流行っている和風な名前にありそうだなぁ。

 同時に、段々と、この書類を紐解くことの重みを感じるようになった。 生まれて数日で亡くなった子どもは何人もいたし、子を産んですぐに亡くなった女性、結婚してすぐに亡くなった男性などもいた。昔はこういった出来事が珍しくなかったとはいえ、故人や遺された家族、それぞれがどんな思いでいたのだろう。少しずつ、その家族に起こった悲しい出来事や、人々の様々な感情も見えてきた。

 また、生涯に2人以上の女性と婚姻関係にある男性もいた。先妻との子が亡くなり、後妻を迎えているケースを見たときには、後継ぎが亡くなり、その後生まれなかったから先妻と離縁になったのだろうか、など、その背景を想像せずにはいられなかった。そのときの先妻と後妻、双方の気持ちはどのようなものだっただろう。そして、戸籍に残されることすらない、生まれる前に亡くなった子どもや籍を入れなかった女性などもいるはずだ。この除籍謄本を読むことで、決して子孫にすら語られることがないような人の悲しみや無念、悔しさにも触れたように思った。

 亡くなってから何年も経った令和の時代に、子孫が軽い好奇心から自分の名前や人生の一部を知る。お空にいる故人たちは驚いただろうか。自分の存在を知ってくれたことを、少しでも喜んだだろうか。
 私を1番下にして、大きな木の枝葉のように縦横に広がる家系図。大袈裟かもしれないけれど、それぞれがその人生を懸命に生きてくれたから、私は生まれてくることができたのだ。夫と結婚し、息子に出会うことができたのだ。

 だから、最後の仏壇仕舞いで、どうしても伝えておきたかった。ありがとうございます。感謝しています。どうかお空にいる皆様も、幸せでありますように、と。

 3年前の法事のときに少し寄って以来、訪れていなかった祖母の家は、10年ほど前にリフォームしたこともあって、昔遊んでいた古屋敷とは雰囲気が違う。
 けれど、唯一「応接間」と呼んでいた部屋の扉を開けた時だけは、懐かしさが込み上げた。古びた絨毯とソファーとピアノがあり、小さい時から変わらない部屋。古い木の香りが混じった、少し埃っぽい匂い。おじいちゃん、おばあちゃん、久しぶり。ひ孫を連れてきたよ。

 全てが片付けられた静かな部屋に、お坊さんのお経が響く。ご先祖様たちも聞いているだろうか。ありがとうございます、の気持ちでお焼香をあげた。
 息子はお経が怖かったのか、中盤から「はやくしんかんせんにのりたい」と半泣きだった。宥めつつ、途中で退室もしながら、最後の訪問の時間は過ぎていった。
 仏壇の中には、いくつものお位牌があった。おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、ひいおじいちゃんと先妻さんの息子、そしてきっと何人もいるだろう水子さんたち。ここで見守ってくれていた皆さんに思いを馳せた。お位牌を丁寧に包んでお坊さんに託した。

 仏壇仕舞いから半月ほど経った今、あの家はもうない。私があの地を訪れることも、もしかしたら二度とないかもしれない。
 家系について学び、これまで命を繋いできてくれた人たちを知ったこと、その後に、この仏壇仕舞いに参加するチャンスが訪れたこと。やっぱり、ご先祖様たちが呼んでくれたのかな、と思っている。
 こうして先祖から代々繋がれてきた自分の、息子の、みんなの生命。これからも大切に、生きていきたい。


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