「挫折も苦労も糧にして、ただひたむきにつくり続けて道を拓く」。近藤翔太さんが陶芸作家になるまで、そしてこれから。【インタビュー】
※2022/7/21に公開した記事の再掲になります。以下内容は公開時点のものであり、現在は記載内容と異なる場合があります。
今も「日本の原風景が残る」といわれる京都・美山を訪れたのは、5月初旬のこと。
心地よい風が流れ、木々の葉が青々と輝くなか、近藤翔太さんが出迎えてくれました。
近藤さんは京都を拠点に活動する陶芸作家で、普段は美山の工房で作陶をしており、代表作である「流星」を中心として、全国各地でお取り扱いが始まりつつあります。
やわらかく、あたたかな雰囲気がありつつ、どこか芯の強さを感じさせる近藤さんのうつわ。
その魅力は一体どこから生まれるのでしょうか。
つくり手である近藤さんが陶芸家になるまで、器づくりのこだわり、そのルーツをお伝えいたします。
陶芸作家・近藤翔太
めぐりあわせて、一度は諦めかけた美術の道へ
ーー minamo エミ:生い立ちについて伺いたいと思っていて、どういった経緯で今の生活にたどり着いたのかってところをお聞かせいただけますか?
昔から絵を描くのが好きで、100均に行ってはお絵かき帳、束のコピー用紙や画用紙を絶対1冊は買ってもらっていました。
だいたい一束を2週間3週間ぐらいで使い切るぐらいの勢いで、ひたすら描いていましたね。
じいちゃんとばあちゃんからは、育つ環境でも結構いろんな影響を受けています。
2人とも美術や焼き物が好きだったりして、美術館によく連れていってくれました。
小学校ぐらいのときから、ルーブルなどの西洋美術に触れて、技法や作家の名前を知っていたわけではないけれど、自分も描きたいと思い始めて、描きはじめたんです。
それからというもの、旅行先でも美術作品を目にするたびに「なんかいいな、こういうのをつくりたいな」という思いが、心にずっとあって。
進学先として美術に集中できる環境を考えたのは自然な流れでした。
とはいえ、通常の高校受験と同様、試験があって、合格しないと入れない。
美術の学校なので、デッサンや着彩などが試験内容に含まれます。
当時志した美術高校は有名なところで、当時の自分にはあまりにも、レベル・倍率ともに高く、残念ながら入学することができませんでした。
その後あえなく一般の高校に進学する形になり、進路を意識し始めた頃、将来を見据えて大学へ進学して教員になることを考えてた時のことです。
友人が「大学の入試案内を一緒に見にいこう」と誘ってくれて、とある大学に足を運ぶと、のちに通うことになる嵯峨美術大学の案内が目に留まりました。
まだ入学できる可能性があると知った瞬間に、やっぱり美術をやりたい思いが噴き上がってきて。
以前一度落ちたので、美術の道を諦めそうになっていたけれど、友人のおかげでチャンスを見つけられました。
両親も背中を押してくれて...めぐりめぐって美術の大学に進むことが叶ったんです。
入ってみて、本当にワクワクしました。
専攻分野を選ぶのですが陶芸、油画があって日本画があって、彫刻があって...。
どの分野も魅力的だったのですが、最終的には自分で使えるものをつくりたいと思い、陶芸を選びました。
最初は菊練り、ろくろ実習から学びます。
ろくろって、その道に進んでいなくても、陶芸の代名詞ぐらいに有名じゃないですか。
自分もやってみたのですが、これがめちゃくちゃ難しかったのを憶えています(笑)。
つくったものが、誰かの暮らしをかたちづくる喜び
美術を学ぶなかで、オブジェ制作に集中して取り組んでいたのですが、やっぱり器をやろうと決めたきっかけがあります。
本当に結構些細なことではあったのですが、器をつくって大学の学祭で販売したときに、結構人気だったんですね。
器を見てくれた人たちや、買ってくれた人たちが「いいね、綺麗だね」「使いやすい!」と言ってくれて。
そんなふうに言ってもらえるのが、すごく嬉しかったんです。
僕がつくった器を使ってくれる人がいる。
暮らしのなかに迎えられ、日々の食事の時に器を使ってくれる。
自分の手から生まれたものが、誰かの暮らしを "めぐっていく”のって、すごいな、ありがたいことだなって。
おこがましいかもしれないけれど、「自分が影響を与える」ものをつくっていきたいと強く思いました。
そこからはもうずっと器をつくっています。たくさんつくりました。
はっきり言ってしまえば、当時はまだクオリティがそんなに高くなかったんですが、希望された方には、ひたすらお渡ししてました。
そうすると本当にお金いらないんですか、いくらですかと訊いてくださるんですが、「お金はいらないです。もらってください」とお伝えしました。
そうしているとInstagramにアップしてくださいましたね。
自分の分身があっちこっちに散らばるように、いっぱい旅立ってくれて、嬉しかったです。
ーーminamo エミ:近藤さんは目止め※ もおこなってくださっていますよね。そうしたところも含めて、実際に使う人にとっての使いやすさに寄り添われているのを感じます。
※目止め:陶器や一部の釉薬には目には見えない凹凸がある。目止めで表面をコーティングすることで、変色や臭い移り、シミやひび割れの予防にもなる
そうですね。作る上では「ある程度の使いやすさ」をいつも大事にしています。
作家として自分がしたい器づくりをして、その上で「実は使いやすいですよ」と、さりげなく提案したい。
ーーminamo エミ:私たちは近藤さんの器を実際に使っていますが、さきほど一番に「使いやすかったですか?」と訊いてくださいましたよね。
人によっても使いやすさは変わります。たとえば女性と男性の感じる重さの差なんかもそうです。さらには、もちろん僕の技術にも左右されます。
そういうところで良いも悪いもフィードバックをいただき「なるほど、そう感じるのか」「自分いいと思ってたけどちゃうんや」など気づきから得られる作陶のヒントがあるので、とにかく吸収しようと考えています。
なので今本当に使ってくれる人も、その先輩方作家さんも、全員が先生という感じで、みなさんに教えてもらっていますね。
もうひとつこだわっているのは作品から得られる「ぬくもり」です。
ぬくもりって、優しいとか幸せとか、そういったものと繋がるイメージの言葉なので、やっぱりそういうところを大事にしたいんです。
土を使って作陶しているのも、ぬくもりを感じて欲しいから。
磁器も試しましたが、手と同化するというか、全部が一体になるような感じがするのが、やっぱり自然の土かなと思い、土を使い続けたい。
自分の物をわざわざ選び、家で使って大事にしてくれるのが嬉しいですし、ご飯を食べる営みひとつとっても、1人でも何人でも幸せに、ぬくもりをかんじながら楽しんでくれたら嬉しいんですよね。
もちろん誰の作家さんの器でも良いのですが、僕の器を迎え入れてくれるというのはすごくありがたく、嬉しいですし、そういう人のために作っていきたいです。
ーminamo エミ:オブジェ製作に取り組んでいた時期があるとのことですが、その頃もぬくもりをテーマのひとつに製作していらっしゃったんですか?
いえ、オブジェについてはまた違っていて、人に訴えかける作品と言えば良いでしょうか。
立誠小学校跡地で同時代陶芸展に参加することになり、自分の経験を活かそうとつくったのが、『見て見ぬふり』という作品でした。
ーminamo エミ:どういった作品だったのでしょうか?
真ん中に三角ぐらいにして、うつむいていて泣いている子がいて、周りに人が立っているんですが、身体はその子の方を向いてるけど、顔だけ向いてない、首だけ逆を向いているような形で表現しました。
実は僕自身の経験が元になっていて、小中学生の頃に精神的に潰れてしまいそうな時期があったんです。
いじめにあっていて、耐えきれなくて、でも先生にも言えず、教室で1人で泣いて...今も鮮明に思い出せるくらいに苦しかった。
当時それこそ命を絶つことを何度も考えたことがありました。
そうした経験があって、無意識のうちに作品に出たのだと思います。
ーーminamo エミ:私には今つくられている作品が、ぬくもりもそうですし、すごく前向きというんでしょうか、すごく活き活きして見えたんですね。過去の経験をいっぱい今まで形にしてきたからこそ、今の作品が素晴らしいものなんだろうなって。
作品をたくさんつくったり、技術を学んだりするなかで「いや、死んでしまったら、終わりだな。その後に自分をもう一度やり直せるわけじゃない」と思い直したんですね。
せっかくなら、自分らしく後悔のない生き方をしたい。自分の夢を叶えたい。
実際にできてる人がいるんだから、自分にもできるかもしれない。
自分が望む人生があって、今そこに近づいて走っていけるのなら、絶対にその道を選びたい。
夢をみるだけじゃなくて、達成する目標にして進み続けたい。
そんなふうに思って、製作に向き合っています。
手繰りよせた流れを逃さないために
ーー minamo エミ:今は陶芸だけでなく会社員としても仕事をされていますね。
そうです。いわゆる”二足のわらじ”で仕事をしています。
卒業してからも陶芸を続けたかったのですが、正直なところ、当時まず安定した収入があることを優先して、美術の教員になることを第1目標にと、つい考えてしまう自分もいました。
でも陶芸を続けるために、生きていくための収入を得る方法を考えて、「夜間の物流の仕事をしたら、昼間製作できる」と思い至り、今も勤めている会社ではたらくことにしました。
他の作家さんを見ていると、皆さん自分がはたらいている時間や、自分が寝ている時間に製作していらっしゃるなと。
それならもう、自分は夜に働いて帰ったらそのまま製作する生活を今も続けています。
1回の勤務が15、6時間とかになるんですが、16時間もぶっ通しで動いていると、さすがにヘトヘトになりますね。笑
ーー minamo エミ:近藤さんのInstagramをフォローしていますが、作陶だけでなく精力的に発信もされていますよね。私も陶芸をしていたので、製作だけでも相当大変なところ、すごいなと...。
当初から発信は意識していました。
実際に続けていると、大阪のとあるお店から急に「すごく綺麗なので、ぜひお取り扱いさせてください」とDM(ダイレクトメッセージ)が届いたんです。
本当にそういうことがあるんだと、びっくりしましたね。
実際に取り扱いが決まったことで、作家としてやっていきたい気持ちが、どんどん出てきました。
そうして、いざやっていこうと思ったら、嵐山の工房が使えなくなるというアクシデントが。
探して探して、最終的に行き着いたところが、美山のおじいちゃんとおばあちゃんの家でした。
窯を使うために電気工事が必要になるので、ご近所の皆さんのご理解を得て、なんとか窯も用意できました。
ろくろを買わないといけないなと思っていた矢先に、大学の先生の紹介で、ろくろ・さん板をもらえて...幸運なことに、費用を抑えて設備を揃えることができました。
先生がおっしゃってたんですが、「やりたいことを常に口に出していたら、誰かが聞いてるから。そういやあのとき、近藤くん、あんなこと言ってたなっていうふうに、声かけてくれるよ」って言ってくれて。
本当にその通り事が運んでいきました。
今はYouTubeもあるし、インターネットも普及しているから、誰かがやってることを見てくれる時代なのかなと。
そんなこんなで、ありがたいことに4店舗ぐらい取り扱いがはじまりました。
ーminamo エミ:今後取り扱いの店舗としては、主に関西になりますか?
いえ、関西に限りません。
初めて実際に取り扱いがあったのは大阪のお店でしたが、他にも東京、大阪、福岡といった形で、置いていただけることになっています。
これからオープンのお店、長く続けられているお店と様々ですが、3店も常設で置いてもらえることになっています。
京都のminamoさんを加えると、4店ですね。
もちろん展示にも出たいので、信楽作家市とか、五条坂の陶器まつりとか、時間さえあればイベントにも参加したいです。
京都・美山での暮らしと器づくり
ーーminamo エミ:美山での暮らしはどうですか?生活面で何か今までと違う部分はありますか?
ストレスがだいぶ減って、睡眠の質も上がりました。
美山に来る前は、家で寝てるとき毎朝とても身体が重くて、頭痛もあったんです。
今はそうしたことがめっきりなくなって、精神的にも落ち着いた生活ができています。
通勤の時間は長くなりましたが、それ以外は良いことづくめです。
しかも家に工房がありますから、朝起きてパジャマで寝癖をつけたままでも作業できます(笑)。
出勤前の2、3時間ぐらい削り作業をはさめるくらいになっています。
「(美山のような)こういうところに住んでみたい」という憧れがあり、今は美山で暮らせることになって...本当に帰ってきた感があるというか。
おじいちゃんおばあちゃんちに行くと落ち着きますし、それで睡眠が取れるようになったのかなと思っています。
あとは味覚が変わったような...好みが渋くなったのかもしれません。
今までは自分の中でサブ的な存在だった食べ物がすごく美味しく感じるようになりました(笑)。
わかりやすいもので言えば、野菜ですね。
山でとれたり育てたりした野菜など「自然感が強い」と言ったら良いのか、そういうものがすごく美味しく感じています。
ーーminamo エミ:美山の旅行に来ると山菜がでてきますよね!
それこそ、この家の裏道を歩いていくと道端にワラビがいっぱい生えてますよ。バケツいっぱい取れます。
今くらいの時期になったら取って、アク抜きをして食べるんですけど、ものすごい美味しい。
実際、味は特にないけれど食感とネバり感が好きです。
もずくと合わせて食べたり、あとは冷やしうどんの上に乗せて卵を入れたりすると美味しいんですよね。
ちょうどこのあいだ「ワラビがどんなふうに取れるんか見たいわ」って言って、ばあちゃんと2人で取りにいったんです。
4月5月以降はかたくなるらしいんですけど、今の時期は柔らかいんですよ。
ーー minamo エミ:移住してどのくらい経ちましたか?
移住して1年間くらいですね。季節も一通り経験して...冬は本当に寒かったです(笑)。
去年は11月の終わりくらいから雪が降って、工房はキンキンに冷えました。
石油ストーブを使うと、かろうじて過ごせる気温になります。
薪ストーブの上でお湯が沸かせるので、それでちょっとでも寒さをやわらげたり...。もうあとは着込むしかないですね。
あと製作する上で困るのが、作品が乾かないことです。夏場はもう最高なんですけどね。
その日中に乾いて削れるし、作業効率がかなり上がります。
ーーminamo エミ:美山土を使った作品「美山」を、展示の際に拝見しましたが、製作に使う土を自分で掘りに行かれるんですか?
それがありがたいことに、おすそ分けのような感じで、ご近所さんからいただけるんです。陶芸をやってると知ってくださっていて「土使うでしょ?この土使えるのかな」と言って持ってきてくださいます。
確認して「めちゃくちゃ使えます」って言ったら「ほなもういっぱい掘って出てきてしもたし、もらってくれるか」ということになって。
山盛りいただいたので、今のところはもう十分にストックがある状態になりました。
そんな自分で掘りに行かなくても「出てきたからもらってくれ」って感じで、なんならもう引き取り業者みたいになっています(笑)。
僕にとっては宝の山なので、その土で何か作れたら物々交換できたら良いなと思っています。
ご近所さんと土を通して関係で仲良くなれると嬉しいですね。
たとえ茨の道でも振り返って「良かった」と思える選択を
ーーminamo エミ:最後に今後の目標を聞かせてください!
まずは陶芸一本で食べていくことが今の第1目標です。
イベントでも出せるようになりたいですね。
その過程で今までつくってきた流星はもちろん、せっかく美山の土があるから、それをもう少し深めていって自然みあふれるゴリっとした作品の2パターンをつくりたいです。
同じ作家が作ったとは思えないような、両極の作風を目指していきたい。
もうその先は、今後ここで制作し続けないかもしれないし、未来のことはわからないですけど、とりあえず陶芸を続けて、死ぬまでつくっていきたいです。
最初はめちゃくちゃしんどいだろうけど、勢いある流れにのって独立してしまった方が、次のステップに進みやすいはず。
取り扱い店舗が増えていくと考えると、このまま同じペースで2年3年続けていては、間違いなく製作の時間が足りない。
車のローンや奨学金の返済もあるので、出ていくお金はあるんですが、自分からハードな状況に飛び込んでいくぐらいの勢いでやろうかなと思っています。
1度苦労しておいた方が、きっとそこから強くなれるんじゃないかと。
ーーminamo エミ:波がやっぱありますよね。明らかに「今だな」みたいな。私達もずっと「やりたい」っていろんなところで言ってたら、声をかけてもらえたり、良い出会いがあったりして...「今やろう、やるしかない」と思い、始めました。
自分の直感を信じた方が、失敗をしたとしても「なんであのとき、しなかったんだろう」とはならない。
むしろ「あのとき、ああしてて、しんどかったけど良かったな」って言える自分でありたいです。
陶芸作家・近藤翔太
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