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新しい一日

鬱陶しいほどに焦る毎日を終えよう。
「もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい」
誰かがこういったから、僕は「ある!」と、南に向かって全力で叫んだ。


毎日投稿を始めて、夜になったときに諦めと焦燥が混じったような感覚に襲われることが多くなった。記録を途切れさせないためには何かしらのインプットをしなければいけないけれど、でもやる気は起きないまま、誰に読まれているかも知らないそれを更新することでしか自分を保てない日々。暫定的で張りのない、削られ続けるキーボードを、叩き続けることでしか今日を乗り越えることはできない。

そんな感覚が少しだけ変わったのがここ最近。投稿に少しずつ安定性と社会性が戻ってきて、昨日を消費する毎日から今日を更新する毎日になった。時計の針が一番上で重なると、そこには新しいスタートがある。アプリを開けばいろんな漫画の最新話が更新される (漫画家の皆さんお疲れ様です) し、何より数字が一つ変わると言いようのない戻れない感覚に襲われる。

数年前には0時になったらポイント集めをするのが日課だった。ある意味、あの時は始まりの喜びを楽しめていたのだろうか。毎日〆切に追われて、見えなくなっていたのかもしれない。こうして見えるようになったことは、自分の精神の安定が確保されてきたことに他ならないし、持ち続けていきたいとも思っている。


少し話は変わるが、投稿が楽しいわけでも文章を書くことを生業にしたいわけでもないけれど、ただ続けられているのは、そこに潜在的に何らかの可能性を感じているからだと僕は思っている。例えば毎日書くことで「この日はこれを書いたんだな」と毎日に意味づけができるんじゃないか、とか。

とにかく言語化できない自分の損得勘定が心の中にあって、それにまだ自分が気づけていない状態がずっと続いているような予感がある。そしてその中に、「毎日の始まりをより鮮明に感じられる」という項目があったら、すごく嬉しい。ノルマを設けてそれをこなして、達成したからこその次の日。追われるのではなく自ら追いかけていくような、前向きな続け方ができているのだとしたら、それが執筆の理想形だと思う。


明日は何を書こうか。まだ決めていない。ぶっちゃけると大抵の記事のネタは日が変わる前に不自然に頭に降ってくるものが多い。毎日どうやって続けてるんだと畏怖にも見える指摘をされたが、ネタリストがパンパンに埋まる生活をするほど豊かでないことは伝えておこう。

好きな曲を貼っておく。たまに聞いたら昔を思い出して、心臓が脈打っているのを感じる。そして日々は続く。


あなたの力で、僕が何かをなすかもしれません