嘘日記 森の消防士編
これは今思いついた嘘なんですが。
ひどく怪我をすると傷跡の部分が白く見えることがあります。これは真皮と呼ばれています。真皮は皮膚の深層を構成する構造体で、多細胞動物の発生学的観点から考えると皮膚や汗腺など (外胚葉) よりも内側の、骨や血管など (中胚葉) と同じ部分に由来するとされています。高校生のとき、鬼ごっこでこけて傷口が白くなっているのをみた時には、ひどい痛みと同時に骨や血管に相当するものを見られた少しの喜びがあったのを思い出しました。
ところでこの真皮には、限界の状況下でのみ発現する驚きの能力があります。今回はその知られざる秘密を、とある事件から紐解いていきましょう。
「白いチンパンジー、山を救う」との見出しの記事が大手新聞に掲載されたのは、今から30年ほど前の出来事である。当時、大学の研究用のチンパンジーが飼育されていた山の中で事件は起こった。突如として原因不明の山火事が発生したのである。
火の存在を知らないチンパンジーは、ただ立ち尽くすことしかできない。そのことを研究用のビデオカメラもとらえていた。警報が鳴り、直ちに研究職員が駆けつけようとするが、思った以上に火は急速に燃え広がり救助も困難な状況。2匹いるチンパンジーのうちエレナ (♀・15歳) が火に包まれる様子が、残酷にも研究所内のモニターに映っていた。
ところが次の瞬間、エレナを包む火が少しずつ消えていく。まるで魔法がかかったかのようなこの光景は瞬く間に世界に拡散され、驚きの声を集めた。いったい何が起こったというのだろうか?
この鍵を握っているのが、事件当時エレナのそばにいたもう1匹のチンパンジー、ラム (♂・26歳) であった。彼は燃えた木の枝に全身を焼かれて火だるまになり、かろうじて火を振り払うも、全身火傷だらけになり皮膚が爛れていた。そこでラムは驚きの行動をとったのだ。
なんと、自らの爛れた皮膚を剥がし始めたのである。強い痛みを伴うこの動作は、もしかすると本能的な行動なのかもしれないと専門家は言う。落ちていた硬い樹皮も使いながら、皮膚の大部分を剥がしたラムは真皮が剥き出しになり、当時の精度の悪いビデオではまるでラムが白くなったかのように見えたのだそうだ。
真皮は外界に曝露されると多くの熱を取り込むことは広く知られている通りだが、極限状態に置かれるほどその能力は加速度的に強くなる。限界まで剥き出しになったラムの真皮が極限状態を迎えてごく多量の熱を外界から奪い、結果として山火事の火の生成熱を上回ったのだ。なんとも信じ難い話である。山火事を消し止めた「森の消防士」たるラムはその後動物病院に搬送され、懸命な処置によって一命は取り留めたが、身体障害が残ることになり研究所を出て病院の管轄下に置かれることになった。エレナはラムによって命を救われ、特に目立った後遺症もなく35歳でこの世を去るまで日本の霊長類学の発展に大きく貢献した。
また、過酷な条件下での真皮の作用についてはその後も研究が進められたが、その発動はごく限られた時間・場所に限られると結論づけられており、未だ有意義な活用には至っていない。「動物の神秘は真皮にも潜んでいたのだ!」と柄にもないことを言ってみる。この寒い洒落も極限状態で山火事を救うのだとしたら、日本の未来は明るい。
※本作品はフィクションです。