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永遠不変の共通土台”I”

わたしがかつて

時間を共にして

「なんか違うなぁ、なんか違う」

と思わせてくれる人たちがいました。

その人たちは、

共通の土台”I”を

認識している人たちでした。

言葉にはできないですが

なにか、圧倒的な安心感というか

なにをしてても、してなくても

それでいい。

ただただそれで許されている。

許すとか許さないとか

そういう次元でもなくて

ただ、存在が愛されている。

そんな実感がもてる、そんな人たちでした。

共通土台の”I”

なにかをしないと

”離れていってしまう”

なにか愛を示さないと

”離れていってしまう”

ちゃんと反応しないと

”離れていってしまう”

そんな、恐怖。

違うんだよなぁ。

違うんだよ。

なにかをするから愛される。
なにかをしないから愛されない。

違うんだよなぁ。

違うんだよ。

圧倒的に違う。

共通の土台”I”

がない人間関係はどうしたって空虚だ。

圧倒的空虚。

あまりにも虚しい。

だって、いずれ

消え去ってしまうものを

共通言語として、共通土台として

人間関係を構築してしまってるから。

それがなくなったら

すぐ消え去ってしまう。

本当のわたしを見せてしまったら

その関係はすぐさま、壊れる。

離れていってしまう。

そんな空虚さ。

そりゃ、安心なんかできないよね。

できっこないよ。

だって、本当のわたしを

現しちゃったら

離れていってしまう間柄なんだから。

共通の土台”I”を認識している

人たちは、なにかそれとは

全く別の、圧倒的な安心感がある。

絶対に消えないそれ

圧倒的なリアリティ

永遠不変。リアル

それを土台とした人、人間関係は

永遠だ。

リアル。永遠に変わらないこと。実在。

”本当にあることと”と”移ろいゆくもの”

圧倒的なリアルとは

この ”I”

この”I”を共通土台とした

人たち

世界、人間関係、

ほんと素晴らしいよなぁ。

ほんと素晴らしい。

永遠の安心感から

生きられる世界。

あぁ、素晴らしい。

これが世界の共通認識となるのが
わたしの夢。

#共通土台  

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