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光の話

一番かなしかったの。たぶん、賞名のことで傷ついてしまったことじゃなくて

傷ついてしまったことに対して「ミスiDの寛容さに甘えている、ミスiDは救済ではない。」「小林さんという神様に背いた人=悪」そういう言葉やそういう空気。人をこわす正義が、どっと押し寄せてきたこと。

押し寄せてきたそれらに耐えられずに一人で泣き喚いた。ほんとうに死のうと思った。迎合することが正しい世界なら、私はそんな世界で生きたくなかった。とても生きていられなかった。そういう感じは、今も全然消えなくて、思い出してはいつもいつももがいている。大してみてもいなかった、私の存在すら知らなかったであろう...そんな所からとんできた石なんて真面に受け取る必要はない、忘れよう。頭でわかっていても、どうしたって真面に受け取らずにはいられない、どうしたって忘れることができない。

ミスiDに甘えていたから傷ついたわけでも、ミスiDに救ってもらいたいと思っていたから傷ついたわけでもない。もしも仮にそうだったとしたら、進むたびに苦しくなったりしない。私がどんな"光"を目印にしてどんな思いでミスiDという道を、一年歩き続けてきたかなんて私しか知らないのに。魂削って削って削りまくって自分すり減らすことでやっと歩けた道なのに。私の"光"が穢されてしまった気がした。くやしくて、くやしくてたまらなかった。

そういうことが、ほんとうは一番かなしかったのかもしれない。

***

"光"は心で思っているだけで、それでいい。そう言い聞かせ、表に出したことはなかった。でも今は、すごく話したい。

                                                                  私にとってのミューズのような女の子がいる。

その女の子が、生まれるまでのこと、生まれたときのこと、生まれてからのこと。追うようにみていました。なにかに惹きつけられるように、みていました。

気づけば私は彼女のもとへと向かっていました。一目見たときのこと、会えたときのことを忘れません。

"美しかった"

美しい瞳には、たしかに宿る魂があったから。その魂は、とてもとても美しかった。そのときの彼女は、動いたり話したりはしなかった。もしかしたら、動けなかったのかもしれないし話せなかったのかもしれない。だけれど、たしかにそこに存在していた。

私にはそれがすごく"光"にみえた。 

                                                          そんな彼女が「ひとりの女の子」として、「この世界を生きているひとりのひと」として、評価をされる世界があった。たとえその世界がどんなに地獄でどんなに呪いだったとしても、それは、それだけは、希望なのだと思った。その「世界」というのが、ミスiDだった。

ー「その枠の中でどう判断されようと、あなたが美しく生きているなら、その美に変わりはありません。ただ、そうと目にする一人一人に知られることで、わからずやだった世界と対話するきっかけになりますように。」ー

「救い」は、彼女のその言葉、彼女の存在そのものだった。

                      その「世界」のなかで、私が私とちゃんとたたかった。心だけが武器だった。小さくても下手くそでも...とにかく心を叫んだ。心が擦り切れるほど叫んだ。届きたかった場所(僅かな希望の場所)までは届かなかった。いろんなものを拗らせ、また殻のなか。私の世界は相も変わらずに地獄。だけど、

一筋の"光"を目印にして一歩ずつ歩いていく道の途中途中で、新しい"光"に出会えたこと。 勇気を出して「わからずやな世界」と対話することで生まれた「小さくてもやさしい世界」があったこと。出会えた"光"のそのひとつひとつが、どれもやさしく光っていたこと。それは、まちがいなく私にとっての希望となりました。ありがとう。

                      あのときみた"光"は、まちがいなく、本物だったよ。                                            ***

ミスiDという世界に今、勇気をもってとびこんだ、とびこもうとしている誰かの"大切"が決してこわされないようにと、こわれないようにと。誰かの"光"が穢されてしまうことも、決してありませんようにと。最近はそのことをずっと願っています。  

シェルターのような場所と謳われるようになり、そういった側面が強くなればなるほどに、ミスiDが拾い上げようと救い上げようとする人が増えれば増えるほどに、誰かの痛みが大きくなる...そういう地獄に耐えられない気持ちがずっとあります。その地獄に結局は自分も加担してしまったのだ...という行き場のない気持ちを抱え続けています。そういうことに鈍感になれないから生きづらいのかもしれませんが、鈍感になってしまったらそれこそ自分はお終いです。

ほんとうに、ほんとうに、選ばれなかったからこの世界に存在してちゃいけない人間だとか選ばれたからこの世界に存在しているべき人間だとかは100%ない絶対にないです。選ぶ側の思う美しさが正解なのかというと、決してそうではないと私は思っています。(美しさは人それぞれで、正解も不正解もない...という意味で。) そのなかでどんな評価や判断をされたとしても、誰かの美しさは美しいままで、絶対にこわれたりしない。こわれない。だから、みんな生きていて...生きていてほしいです。




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